611話 私は着せ替え雨妹です
「わたくし共が意匠を選んでよろしいので?」
「ええ、まずは手当たり次第に試しましょう」
お付きの人たちが燕淑妃とそんな言葉を交わすと、慣れたものらしく燕淑妃の意向を汲んで勝手に動いて、それぞれに衣装を手に取って一列に並んだ。その列は雨妹の前に一直線となっているのだが。
「え?」
――もしかしてその服、私が着るとかじゃないよね?
雨妹が頬を引きつらせていると、文芳が「あらあら」と笑う。
「この方はね、他人を着せ替えるのが好きなの。しばらく付き合いなさいな」
「えぇ……」
雨妹の想像が当たっていたようだ。本当に、誰か自分を助けてほしい、切実に。
そして、どうなったかというと――
「次はこれにするわ」
「はい」
燕淑妃が選んだ衣装を、お付きの人が雨妹に着せていく。これで着替えが何着目なのか、途中から数えるのをやめたので覚えていない。今の自分は着せ替え人形なのだと、心を無にしていた。
こうして散々着て脱いでを繰り返した末に、燕淑妃が小首をかしげて言った。
「なにを着せてもそれなりねぇ」
この「それなり」というのは、駄目ではないが似合ってもいないということだろうか?
「確かに、それなりだわ」
文芳も燕淑妃に同意しているが、「それなり」なのは雨妹自身がよくわかっていることであるので、今更傷付いたりはしない。この美しい二人を前にすれば、誰だって「それなり」以下になってしまうだろうし。
「でもねぇ……」
燕淑妃が何事かを考えながら、「それなり」な衣装の中から比較的似合っていたらしいものを選び出したので、雨妹はそれを再び着せられ、仕上げにお付きから化粧を施される。
「終わりました」
唇に紅をさされたところで、雨妹は大きな鏡の前に立たされた。
――おお、「それなり」もなかなかじゃない?
まさに馬子にも衣装で、掃除係が大店のお嬢さんに見える。燕淑妃宮にやって来て初めて心が浮き立った雨妹の一方で、燕淑妃は奇妙そうにまた小首をかしげていた。
「似るかと思ったのだけれど、面白いくらいに似ないわね」
「えっ?」
どうやらこれ程に衣装をとっかえひっかえしたのは、その「似る」かどうかを確かめていたからのようだ。しかし雨妹は「似る」という言葉に、思わず固い声を漏らす。燕淑妃が確かめていたのは、もしや――
「張美人にはならないわね、その髪がそっくりだと思ったのだけれど」
「……!?」
油断した、最近の雨妹は母の影を後宮で感じることがほぼなかったので、全然警戒していなかった。
――けどそうだよね、そりゃあ母を知っているか。
後宮を管理している燕淑妃が、あの母やら雨妹やらのことを全く知らない方がおかしいだろう。文芳の方は「張美人?」と不思議そうにしている。こちらは貴妃としては引きこもりなので、ひょっとして情報がないのだろうか?
「似合う意匠も違うし、化粧映えも違うし。表情が違うからかしら?」
燕淑妃がそのように思案していると、
「張美人とは全く違うではないの」
そこへ文芳がきっぱりと告げた。
「あの方は淡いぼんやりとした色が似合う人だったけれど、雨妹ははっきりとした鮮やかな赤よ、絶対に」
文芳は張美人を知らなかったわけではなく、「似る」ということに違和感があったらしい。
「……そうね。言われた通り、確かに赤が似合う」
そんな文芳の意見を受けて、燕淑妃がやっと答えを掴んだというように衣装の差し色を変えていく。
――なんか、嬉しいかも。
雨妹は母を知る人から初対面で「似ている」と言われたことはよくあったが、「似ていない」と言われることはあまりない。だから「違う」とはっきりと断じた文芳の言葉が、ちょっとだけ心がギュッとさせられた。
「これでいいわ!」
やがて燕淑妃が満足のいく見た目にできたようで、得意そうに雨妹を頭の先からつま先まで眺めてくる。




