610話 急に張り切られても
「あ……」
燕淑妃は医局で会った時同様、雨妹の青い目に怯えて一瞬ビクッとする。この後宮で青い目持ち恐怖症とは、燕淑妃が暮らすのは大変そうだ。
――いや、ある意味後宮にいる方がいいのかも?
なにしろ後宮内での青い目持ちは、公式な存在だと皇帝と太子、あとは友仁などの後宮内での養育を許されている子どもだけ。そうした青い目持ちと会う時は事前に知らされるだろうし、偶然会うなんてことはない。外部から皇族があつまる花の宴さえどうにかすれば、偶然要素は雨妹みたいな変則的青い目持ちくらいしかないのだ。そう思えば、実家で暮らすよりも後宮はいい環境と言えなくもない。
――というかこの人には花の宴って、地獄の宴なんじゃないの?
その上今年の花の宴には東国の者が乱入して騒ぎを起こすという、物理的にも地獄の宴であったのだから、燕淑妃には踏んだり蹴ったりだ。
そんな雨妹の同情する気持ちはともかくとして。
燕淑妃はすぐに青い目の主が雨妹だとわかって力を抜くと、気を取り直して話しかけてきた。
「あなた、医局でお話しした方よね?」
「どうも」
文芳から離れた燕淑妃に、雨妹は頭を下げて礼の姿勢を取る。
「ふぅん……」
すると燕淑妃は小首を傾げて雨妹を眺め、何故か雨妹の周りをぐるぐると歩き始めてしまう。
「え、え、え?」
何故このようにされるのか、理由がさっぱりわからない雨妹は戸惑うが、燕淑妃が唐突に手を伸ばして頭巾をスポンと取った。
「あ!?」
頭巾を取られるとは考えていなかった雨妹がぎょっとすると、燕淑妃は髪の手触りを確かめるようにしてから、顔を覗き込み、腕を取り上げて持ち上げたり降ろしたりと忙しない。
――私って一体、なにをされているんだろう?
しばらく雨妹がされるがままな状態であった後、燕淑妃が文芳を見やる。
「文の手伝いなら、この娘はしばらく時間があるのよね?」
「そうね」
「え、あの」
雨妹が返事をする前に、文が頷いている。
「なら、わたくしに付き合えるわよね?」
「そうね」
「え?」
燕淑妃の問いかけに、またもや文芳に勝手に返事をされた。
――いやいや、私は宮の中の偵察をしに行きたいんですけれど!?
しかしこれを正直に声に出すわけにはいかず、必死に文芳を見て目で訴えるが、あちらがそれを汲み取ってくれる様子はなく、ニコリと微笑まれただけである。
「あの、私は淑妃様とご一緒できるような身分では……!?」
「野暮を言わないの」
それでも雨妹は足掻こうとするが、文芳にたしなめられてしまう。そうではないんだと雨妹は訴えたいのに通じない。
「あの……!」
ならば燕淑妃のお付きの方を頼るかと、雨妹はそちらを必死に見やる。雨妹としては「そのような素性の知れない者と触れあってはいけません!」という流れになってほしいのだけれど、なぜか皆が全てを悟ったかのような微笑みを浮かべている。
――なに、その「あ~、始まったね」という雰囲気は!?
なんだか、「お前も早く諦めろ」と訴えかけられているかのようだ。どうやらこの場に雨妹の味方は誰もいないらしい。というか、燕淑妃は仲良しの文芳がいるので心強いのかは知らないが、人が変ったように張り切っている。いや、張り切りすぎではないだろうか?
こうして結局雨妹は燕淑妃に連行されてしまい、連れて行かれた先は衣装部屋である。
「わぁ……!」
色とりどりの衣装がずらりと並べられている景色は壮観で、雨妹は思わずポカンと口を開けてしまう。
「さあさあさあ!」
そんな呆け中の雨妹を、妙に興奮している燕淑妃が部屋の真ん中に立たせて、お付きの女たちに告げた。
「お着替えの時間よ!」
「はい?」
雨妹はちょっと、今なにを言われたのかわからない。




