609話 美しさは力なり
このように雨妹たちは二人で手を繋いで、燕淑妃がいる場所まで向かう。
「主は庭園にいらっしゃいます」
雨妹たちを待っていた宮女がそう述べて、庭園の一角を指差す。どうやらあちらにいるようだ。燕淑妃宮の庭園は、季節の花が計算されて配置されており、いかにも人の手によって整えられた庭園という雰囲気だ。この庭園の違いも、それぞれの宮らしさでなんだか楽しい。
その庭園で姿を探していると、やがて数人のお付きを遠巻きにして桂花の香る池のほとりに佇んでいる、美しい女性を発見した。
――やっぱり、あの時の人だ!
見えている姿はあの医局の客人で間違いない。陳と共に無視をした彼女の身分が、これで確定された。
「燕淑妃、文が参りました」
お付きの一人が声をかけると、燕淑妃がハッとして雨妹たちの方を振り向く。
「あ……」
文芳を見てふわっと表情を緩めた燕淑妃の、なんと美しいことか。
「燕淑妃、お呼びいただきありがとうございます」
文芳も燕淑妃に向かって微笑んでみせて、被った布に隠されているが、その口元だけでも十分に麗しい。
――これは、美しいと美しいの競演!?
文芳と燕淑妃とは、その美貌で見ている者の目が潰れかねない取り合わせだ。けれど幸いなのは、片方の文芳が布を被っていることか。そしてもう片方の美しい人は雨妹たちの存在に、というか文芳の姿に気付くと、ぶわっと大粒の涙をポロポロと零し始めたではないか。
「文、わたくし、わたくし……!」
「ひゃっ!?」
燕淑妃が泣きながら早歩きでやってくるのに、雨妹は慌てて文芳から距離を取る。そうでないと、あの美しさで雨妹の存在が滅されてしまいそうに感じたのだ。
「燕淑妃、そのように人前で泣くものではありませんわ」
文芳がたしなめつつも燕淑妃を抱きとめて、よしよしと肩を撫でてあげている。その態度が実に自然というか、慣れている感じがする。
――この二人、仲良しさんだったりする?
呆気にとられる雨妹の前で、燕淑妃は文芳に縋りついてさめざめと泣き続ける。
「ですがわたくし、わたくしは! 姐姐から嫌われてしまったのよ!」
涙ながらに嘆く燕淑妃だが、どうやら燕女史への説得作戦は難航しているらしいと雨妹は悟る。
「まぁ、困ったわね」
そのあたりの秀玲からの事前の事情説明を「要らない」の一言で切り捨てている文芳は、たいして困っていなさそうな調子で呟く。
「ねぇ、嫌われたからなんだというの? 嫌われたのならあなたは、あなたの姐姐のことを嫌いになるの?」
「そんなことは絶対にないわ!」
泣きながらきっぱりと断言する燕淑妃に、文芳が「ほらね」と笑う。
「ならなにも変わらないわ、だから泣くことないではないの。そんなに泣くと目が溶けてしまってよ?」
「うっ、ぐすっ、わかったわ……」
文芳に言われて、燕淑妃は懸命に涙を堪えようとしている。
――けど今のって、慰めていたかな?
雨妹は内心で疑問に思うが、それを口に出したりはしない。文芳の言葉をしっかり聞けば、そうでもないような台詞なのだが、そこを雰囲気で押し切った感じである。文芳はその美しさと独特の言動で、雰囲気勝負に強い女性であるように思う。
なにはともあれ、少し落ち着いてきた燕淑妃に、文芳が微笑みかける。
「それよりも、わたくしに作ってほしいものがあるのでしょう? それを聞きたいわ」
「ええ、そうだったわね!」
文芳にとっての本題に、燕淑妃も明るい顔になる。
「あなたに、姐姐への贈り物を作ってほしいの」
燕淑妃がそのように述べたが、どうやら燕女史へ贈り物作戦を試すことにしたらしい。手を変え品を変えて、関心があることを伝え続けるのはいいことだと、雨妹は思う。
「あらあら。そうだわ、今日は手伝いも一緒なの」
そこで文芳が雨妹の方へ顔を向ける。
「あら?」
ここで初めて、燕淑妃の視界に雨妹が入ったらしく、驚いた顔になる。彼女は本当に文芳のことしか見ていなかったようだ。まあ美しい二人を前にすれば、雨妹なんて背景要員でしかないので仕方ないだろう。




