606話 まだまだ衝撃はある
――伊貴妃って、野次馬が弱めな人なんだな。
というかこれまでの行動を見ていると、自分の興味があることにしか意識が向かない性質と雨妹は見た。
「文芳ならあの宮に伝手があるのではなくって?」
いきなり核心を告げる秀玲に、文芳は「ふぅん」と首を傾げる。
「伊貴妃としてなら、交流は全くないわね」
文芳の答えが期待できないものだったのに、雨妹は内心でガックリとする。やはり、そう上手く話は進まないものらしい。
「あらそう」
けれど秀玲は軽く返事をするのみで、あまりガックリそうではない。さらには文芳が雨妹にニッコリと微笑みかけて告げた。
「だから雨妹、あなたは明日改めていらっしゃいな」
「……は?」
文芳に言われたことに、雨妹は思わず呆けた声を漏らす。
「格好は着飾らないこと、これを守ればいいわ」
「え?」
雨妹はなにかを突っ込みたいのだが、それが言葉にならずに口をパクパクさせる。
「この娘は掃除係だから、仕事着でいいかもしれないわね」
「なら、そうしてちょうだいな。来るのは裏門にね?」
秀玲と文芳で話をさくさくと進めているが、混乱中の雨妹は置いてけぼりだ。
「え、え、え?」
首をグルグルとして秀玲と文芳を見比べる雨妹は、だんだんと目が回ってきた。
その後、秀玲に連れ帰られた時にどんな話をしたのか、雨妹はさっぱり覚えていなかった。
そんなわけで翌日になったのだが。
「おはようございます……」
雨妹は言われた通りに、朝から今度は一人で再び伊貴妃宮を訪ねている。一人な上に昨日と違って裏口なので、三輪車で移動した。そして自分は今からなにをするのだろうか? と未だに謎が謎のままである。
「張雨妹ですか?」
「あ、はい!」
そんなあからさまに不審人物に見えるであろう雨妹に、裏門で待っていた風の宮女が呼びかけてきた。名前を当てられたので、どうやらここに雨妹が来ることがあらかじめ知れていたらしい。
「しばし待ちなさい」
その宮女にそう言われて、雨妹が大人しく待つこと少し。裏門から先程の宮女とは別の人物が出てきた。格好は袍を着て髪を雑に括り上げているだけという、宮女よりも質素にしていて、日差しを避けるように頭から布を被っている。
――えっと、誰?
伊貴妃宮は戸惑うことばかりだな、と雨妹は若干悟りの域に差し掛かりながらも、とりあえずその人物に対してペコリと礼の姿勢をしてみせる。するとその相手も礼を返してきた。そして――
「ちょうど合う格好だわ、よくってよ」
「え?」
その人物の口から聞こえた声に、雨妹はギョッとするどころではない。
「伊貴妃!?」
そう、この声は紛れもなく文芳のものだったのだ。この雨妹の驚きに、被った布の下から文芳がこちらの顔を覗き込んでくる。
「しぃっ! わたくしはただの『文』、伊貴妃宮で仕事をしている石細工職人よ」
「はぁっ!?」
文芳がそのようにたしなめてくるが、雨妹はなおさらに意味がわからない。しかし文芳は雨妹の混乱を全く気にする風ではない。
「さあ行くわよ、この箱を持ってちょうだい」
文芳からポスンと箱を渡され、雨妹は反射的に受け取ってしまう。そう重い箱ではないが、中からカラカラと音がする。
「なんです、この箱?」
「石見本よ。これから意匠の要望を聞き取りに行くの」
雨妹の質問に答える文芳が、箱の蓋を開けてみせた。たくさんの仕切りで空間を分けられた箱の中に、たくさんの種類の小石が入っている。色合いも様々揃っており、見ていて楽しくなってくる。
「石の色も様々でしょう?」
「はい、すごいですねぇ」
雨妹は素直に感想を述べるが、いや、そうではないだろう自分。
――ひょっとしてこの人、本気で石細工職人として活動しているの!?
父はなんという人を貴妃にしているのだろうか?




