599話 秀玲の一手
「皇帝陛下の御命令であると、無理に押し通ることもできるんだよ?」
こう指摘する太子に、雨妹はしかし首を横に振る。
「それをしてしまえば燕女史からのよからぬ反感を買い、本当の自覚症状を教えてもらえなくなるのではないか、と陳先生は危惧しています。それでは駄目です、患者の情報なくして治療はできないのですから」
雨妹は燕女史に健康になってもらいたいと思うし、話に聞いたような大事な身であるならばなおさらに、病を放置してはいけないだろう。
「なので、まずは燕女史とお話をしたいのです。なにゆえに自身の身体をないがしろにしてしまうのか、その根源を探りたく思います」
こういうことは頭ごなしに言っても効果はあまりなく、やはり対話が大事だ。そして燕女史が普段どのような暮らしをしているのか身近な人から聞くためにも、一度燕淑妃宮に入りたい。
「ふふ、そうか。わかった」
この雨妹の答えは満足するものであったようで、太子が満面の笑みを浮かべていた。
「確かに何事も、相手の真意を探るのは大事なことだからね。というわけで秀玲、なにかいい手はあるかな?」
「もちろん、ありますとも」
太子から問われた秀玲が即答する。
――おお!? さすが秀玲さん、立彬様が最後に頼る人だよ!
雨妹が期待の目を向ける中で、秀玲が告げた。
「伊貴妃宮の使いとして入ればいいのです」
その答えは、なんとある意味直球なものである。だが立彬からの情報だと、燕淑妃宮は伊貴妃宮にあまりいい印象を持っていなさそうに思う。それなのにこうまで秀玲が断言するところを見ると、伊貴妃宮の人は燕淑妃宮から追い払われないということなのだろうか?
不思議そうにする雨妹に、秀玲がにっこりと笑いかける。
「明日早速行きましょう、雨妹は朝からこちらにいらっしゃい」
またもや雨妹は驚く。
「あの、朝で大丈夫ですか?」
偉い人というのは、夜更かしをして朝遅寝をして昼頃から活動を始めるものではないのか? いや、伊貴妃宮に行くからといって、偉い人に会うとか限らないのだけれども。またまた不思議顔になる雨妹に、秀玲はさらに笑顔の圧をかけてきた。
「平気よ。というか、いつ行っても同じだしね」
「……?」
謎が謎を呼ぶ状況に、雨妹は助けを求めて立彬を見る。しかしあちらも訝しそうな顔であり、頼れそうにない。
――なんか今日って不思議がいっぱいだなぁ……。
とりあえず、雨妹はもうこれ以上考えるのを諦めた。
こうして打ち合わせが済んだところで雨妹がようやく帰宅すれば、何故か楊が待ち受けていた。
「どうだった?」
訳知り顔で問いかけてきた楊は、こちらもどこからか情報を得ているのだろう。意外にも情報通な楊なのだ。
「色々あって、明日の朝から伊貴妃宮に行くことになりました」
楊には明日の仕事の予定を融通してもらうために、話を端折って皇帝から頼まれごとをされたのと、それに関して太子宮の秀玲を頼ったのとを伝える。
「ああ伊貴妃宮、あそこねぇ」
すると楊が「ははぁ」という顔で頷くではないか。
「なになに、なにかあるんですか? 伊貴妃宮って」
これ以上のややこしい事情はもう遠慮願いたいのだが。そんな恐々とした思いが顔に出ていたのだろう、楊が「ぷっ」と吹き出す。
「それを教えたらつまらないだろう? 明日のお楽しみだよ」
「お楽しみ、ですか」
そのような表現は、燕淑妃宮のことを話していた時には誰からも出なかった回答である。
――なんだなんだ、気になる!
この一連の出来事に巻き込まれて以来、雨妹は初めてワクワクするのだった。




