596話 二度はないということか
雨妹がこの微妙な話題をサラッと流したことで立彬も安堵したようで、話を続ける。
「皇后陛下が今一度自らを盛り立てるには、やはり子を生すのが一番だ。皇后の御子は、やはり神輿として担ぎやすい」
それに皇后当人の意志以上に、周囲が子を望むのだ。事実、そうした声は多くはないがあるという。声を上げるのが誰かというと、これまで皇太后の下で甘い汁を吸っていた者たちである。つまり父にも、「もっと皇后の元に通え」という圧力があるのだろう。その連中が一丸となって訴えるのがなかなかに鬱陶しいのは、雨妹としても容易に想像できる。
けれど、雨妹はそうした世相に物申したい。
「簡単に言ってくれますよね。出産は命がけの行為ですのに」
若すぎても身体が未熟で出産に耐えられず、高齢では出産をやり切る体力に不安がある。本当に無事に出産するということは、本人の努力だけではどうにもならない運頼みと言えるのだ。
そのようにプリプリと怒る雨妹に、立彬は苦笑する。
「そういうわけだから、呉殿なのだろう。厄介事を起こさせないためには、徹底的に管理するか、厄介事を起こす気力を失くさせるかだ」
呉を皇后宮に投入するのは後者の効果を狙ってのことだと、立彬は言う。
「呉様は『宮荒らし』と呼ばれていると、楊おばさんから聞きました」
雨妹の話を聞いて、立彬がクッと口の端を上げる。
「まさしく、そのあだ名の通りの方だ。皇后陛下が『宮荒らし』相手にどこまで抵抗できるか、いっそ見物であるな」
立彬が珍しく悪い顔をするものだ。
――なんか、最終兵器みたいな扱いだな、呉様って。
まあ父だって「しくじりを何度も繰り返さないぞ」ということなのだろう。
このようにして、雨妹が気になっていた事についての話をあらかた聞けたところで、秀玲に会うために屋内に入る。
「秀玲殿に言伝を頼む」
立彬が通りかかった宮女を捉まえて、雨妹が秀玲に会いたい旨を書いた手紙を託し、しばし空き部屋で待機する。するとあまり待たずに、秀玲からの返事が返ってきた。
「明賢様の夕食に同席するように、だそうだ」
「はい?」
まさかの返事の内容に、雨妹は固まる。
――秀玲さんに会いたいのに、太子殿下が付いてきたよ?
雨妹はこれまで太子宮にお邪魔したことが何度かあるが、どれもせいぜいお茶とおやつを貰った程度であった。それだって下っ端掃除係には破格の待遇であるのに、夕食に同席とはどういうことか? そういうのは普通、太子宮の妃たちが同席するのではないのか?
「本気で?」
狭間の宮に連れていかれた時よりも混乱している気がする雨妹の肩を、立彬がガシッと掴む。
「仕方ない、行くぞ」
「えぇ~!?」
そして太子の待つ部屋へと引っ張って行かれてしまった。けれどお茶を飲んでしまったので、太子に会う前に用を足すために、洗手間へと寄り道をさせてもらってからであるが。
雨妹が夕食の席に到着すれば、ニコニコしている太子がいた。その背後には穏やかな微笑みを浮かべている秀玲が控えている。
「やあ雨妹、顔を見られて嬉しいよ。まずはお座り」
そのように太子自ら席に促され、座ってすぐに秀玲から並ぶ皿を整えられてしまう。これで雨妹は「いえ、お茶をいただいただけで帰ります」とは言えなくなった。
ここに至ってようやく諦めた雨妹を見て、太子が「ふふっ」と笑う。
「元気そうだ、と言いたいところだけれど。ずいぶんくたびれた顔をしているね」
――そりゃそうでしょうねぇ。
今日は色々あり過ぎたので、雨妹としても自覚はある。