594話 情報を整理する
まあ、それはそれとして。
「そういうわけで、明賢様のお立場としては燕淑妃に強く出られない。だがそれで明賢様が燕淑妃宮から嫌味やら無理無茶などを言われたこともなく、本当に出来たお方だ」
そう語る立彬の眼差しには尊敬の念が籠っているのが、雨妹にもわかる。
「明賢様が仰るには、燕淑妃は美しい上に才女であられるそうでな。あれほど完璧な女性はいないだろうとのことだ」
太子は燕淑妃をずいぶん持ちあげているが、それだけ太子にとって燕淑妃とは恩義ある相手だということなのだろう。しかし同時に、雨妹には引っ掛かりを覚える話でもあった。
「才女……」
それはあの医局で話した人からは、到底出てこない印象だったからだ。
――けど、人は見かけによらないとも言うし。
雨妹がちょっと話した程度で、相手の全てをわかったように思うのはよくない。けれどしっくりこないのも確かである。むしろ雨妹が「才女」という印象を抱くのは、燕淑妃ではない方だ。
「あの、では立彬様は燕女史について、どのような方だと思いますか?」
雨妹が問うと、立彬は考えるように沈黙する。
「燕女史は常に燕淑妃に寄り添うお方だが、あまり前に出て主張をする印象ではないな」
曰く、燕女史が単独で表に出ることはなかったはずだという。それでいて常に主を立て、主に不利となる状況を作らせない、非常に有能な女官。そのように語る立彬は、慎重に言葉を選んでいるように見えた。
――燕淑妃と違って、燕女史は立彬様と接する機会のある人だからかも。
太子の宦官が燕淑妃と対面が叶うとは思えないが、燕女史とは話す機会も稀にあるに違いない。その際に妙な言質を取られる事態を避けたいのだろう。
ここで、雨妹はもう一つ肝心な話をする。
「立彬様は、燕女史が道士であると知っていましたか?」
これに、立彬は難しい顔になった。
「皇太后がお抱えの道士に好きにさせる以前、燕家が宮城に相談役の道士を置いていたと聞く」
これに雨妹は目を丸くする。
「つまり、燕家こそが宮城のお抱え道士を出していたんですか?」
「そうだ」
雨妹の確認に、立彬が肯定する。それでは、燕家は宮城と後宮の暗部を知り尽くしていると言っても過言ではなく、なるほど皇帝も無視できない存在であろう。
「しかし、燕女史自身が道士であるとは初耳だ。悪目立ちせぬよう、隠していたのか?」
立彬が考えこもうとするも、すぐに「今はいいか」とすぐに切り替えた。
「そんな経緯であるから、燕家にとって皇太后陛下は一族の立場を貶めた憎い相手だ。その手下ともいえる皇后陛下とて同じことで、今こそ反撃の機会だろうな」
「はぁ~、あの燕淑妃宮の方々との遭遇は、そんな一触即発な状況だったんですね」
反撃の隙を伺う燕女史は腹が立つ相手であっても「今がその時ではない」と引いたのに、皇后側が自ら地雷を踏みに行くという構図である。雨妹とてそれがわかって見ていれば、背筋が凍ったかもしれない。
それにしても立彬は「話せることは多くない」なんて言いながらも、雨妹にとっては十分に新しい情報を持っていた。このような裏事情は、楊あたりだと知ってはいても、太子を憚って口にし辛かったのだろうか? そのように考えつつも、雨妹はさらに問う。
「立彬様は、燕女史を良い方だと思いますか?」
雨妹があえて単純な質問にしたのに、立彬は答えに迷う様子を見せる。
「……主第一である方だと思う」
そしてこのように返された。
――燕女史の印象は、私とほぼ同じか。
それなのに燕淑妃についての印象が雨妹と揃わなかったのは、先に考えたように、立彬が直に話す機会があるかどうかなのかもしれない。
そもそも女史とは、後宮において主の側に侍って様々な記録をする読み書きに長けた女官のことだ。つまり、主の目であり耳であり手足である人で、主からの信頼あってこその職なのだ。それに燕淑妃宮が後宮全般を管理しているとなれば、それらの仕事を実際に行うのは筆頭女官である燕女史というわけで。
――つまり、燕女史とはまさに後宮の裏ボス!
なんだか、格好いい響きである。