591話 そして、こうなる
皇后への杭である燕淑妃宮が閉ざされているのならば、それは宮城にとっては大問題である。なるほど、雨妹が目撃した揉め事の場で、皇后宮の人たちが皇太后の庇護がなくなったというのに妙に強気に見えたのは、「敵が弱まっている」という事情もあったのかと、雨妹は納得する。
「一心同体」
父に言われたことを、雨妹は自分でも呟いてみる。
雨妹が楊や許から聞いた話の中での燕淑妃と、実際に会った燕淑妃。この二つが、どうにもちぐはぐな印象がある。そして医局にやってきた燕淑妃の様子だと、燕女史との間には溝があるような言動であった。一心同体というのは、共に助け合わなければならない関係であるはず。ならばその両者の間に、なんらかの不協和音が生じているのだろうか? それで燕淑妃宮全体が困ったことになっているのかもしれない。
思考が深まり、疑問で靄がかかっていた頭の中が多少見通しよくなっていく雨妹は、ふと父と目が合う。その父の目が「この謎がわかるか?」と問うている気がして、雨妹は見返す視線にぐっと力を入れる。
「燕女史は燕淑妃にとって必要な者であり、朕としては二人そろって健全でおってもらわねば困る。かの宮が門を閉ざした原因のひとつに、燕女史の不調がある可能性は否めぬ」
父がそう述べてから、陳に目をやる。
「もう一度問うが、かの者は回復可能であるのだな?」
「今よりもより良い状態になる、という意味でございましたら、『可能である』と答えましょう」
陳が答える声に力を込めたのに、父は満足そうに笑みを浮かべる。
「よし、では朕が命ずる。燕女史を治療せよ」
「承知いたしました」
皇帝に向かって、陳は頭を下げる。
「そして張雨妹よ、真実はその目で確かめてみよ」
「やってみます」
雨妹も陳と同様に頭を下げるのだった。
とまあ、そんな話の流れになったのだけれども。
「とうとう燕淑妃宮にがっつり関わることになってしまった……」
そう、雨妹は大きな流れに負けたのだ。きっとその流れを「運命」なんて呼ぶのかもしれない、なんて、そんな感傷に浸りたくなってしまう。
しかし、そんなボヤボヤとしている暇はないことも確かである。なにしろ例の燕女史であるが、「治療しに来ました!」「はいどうぞ!」とすんなり行くのであれば、既に宮の方で医者にかからせているに違いないのだから。それができていないから今の事態なのである。
それに「皇帝陛下の命令で来ました!」と今から燕淑妃宮に突撃をかけたくはない、というのが雨妹と陳の共通見解であった。できれば嫌々ながらではなく、納得して治療を受けてもらいたい。そう燕淑妃に話した言葉に変わりはない。しかし、燕淑妃が上手くやるまで傍観しているわけにもいかなくなったのも事実である。
最良なのは、不自然ではない理由で雨妹が閉ざされた燕淑妃宮に入ることだ。やはりきっかけを掴むには、会話をしなければ始まらない。けれども雨妹がこれまであの宮に関わることがなかったということは、そもそも以前から出入りする人物が制限されているということに他ならない。
――つまり、宮に近付くには縁故が必要だということ!
だが当然、下っ端掃除係にそんな縁故を持っているはずもなく。こうなると、雨妹が頼れる先は一つしかない。
「助けてください、立彬様~!」
「薄々思っていたぞ、こうなるのではないかとな」
泣きつく雨妹に呆れたため息を吐くのはそう、頼りになる太子宮の宦官様である。




