590話 疑問は聞いてしまえ
「それは、治るのか?」
そして肝心の質問に、陳は大きく頷く。
「適切な治療を施せば治りますし、重篤な場合であっても、生活に不自由のない状態に戻せます」
「さようであるか」
陳の答えを聞いて、父がホッと安堵したような表情を見せた。
それにしても、いくら燕淑妃宮の筆頭とはいえ、いち女官のことを皇帝がこれ程までに気にするというのに、雨妹は違和感を覚える。皇帝が後宮の女性を気にするとなると、真っ先に思いつくのは「妃嬪候補」である。もしや後宮の妃嬪が減ったのでいくらか補充させるような圧力が、どこからか掛かっているのだろうか?
――けどあの人って別に、父好みの女性ってわけでもなかったよね?
そう思いつつも、雨妹が思わず父にジトッとした目を向けてしまうのは、無理からぬことと言えよう。
そんな雨妹の視線に、父も気付いたらしい。
「エッヘン! なるほど、事情はわかった」
どこか取り繕うように椅子に座り直した父が、表情を引き締めてから告げた。
「今の後宮は微妙な時期である。故に後宮の均衡の要に揺らいでもらっては困るのだ」
――そこまでの存在なのか、燕淑妃って。
父の意見を聞いて、雨妹は目を瞬かせる。
立彬は、燕淑妃は空気のように存在していたと表現していた。それは燕淑妃を軽んじる発言にも聞こえるが、深読みすれば後宮の空気を一変できる存在であるとも受け取れる。であるならば、なるほど確かに燕淑妃宮の動きは重要だろう。しかしそれでも――
「どうした宮女、張雨妹よ」
雨妹が思考を巡らせていると、なんとこちらに声がかかった。微かに顔を上げると、父が真っ直ぐにこちらを見ていた。
「言いたいことがあれば述べよ、発言を許す」
皇帝自らに発言を促されてしまった。ここまでお膳立てをされて、黙っているのもなんだか悪い。そう思って雨妹は「ええい!」と口を開く。
「では、お尋ねしたく思います。何故宮のいち女官の身を、皇帝陛下自らが案じる必要があるのでしょうか?」
雨妹のこの不躾な質問に、隣で陳がギョッとしているのは少々申し訳がない。けれどこの疑問を解消しなければ、考えが前に進まないのだ。
「うむ、もっともな疑問である」
しかし、父は満足そうに頷く。
「言えることは一つ、必要だからだ。燕淑妃と燕女史は一心同体である、とだけ言っておこうか」
新たな情報がもたらされ、また燕淑妃という人物像が混乱する雨妹に、父が続けて語る。
「燕淑妃は皇后への杭である。今、あそこに倒れられるのは痛手だ。最近の燕淑妃宮の様子を述べよ」
父に視線を向けられた宦官が、即座に反応する。
「は、かの宮はここしばらく門を閉ざし、客を全く入れておりませぬ」
――そうなの!?
皇帝の命令に答えた宦官の話を聞いて、雨妹は驚く。
雨妹にとっては、どこの宮でも門は開かれているのが普通であり、掃除に行ったり前を通ったりすれば、ある所の門番は気さくであったり、ある所では厳めしく対応されるものだ。余程怪しい言動をしていなければ、門から見えるあたりの庭園を開放していたりもする。普段からどこまで開かれているかが、その宮の主の寛容さを表しているとも言えよう。
それがしばらく閉ざしっぱなしというのは、明らかに異常事態だ。燕淑妃宮方面は雨妹も管轄外であったので、そんなことになっているとは全く知らなかった。
雨妹の驚きを察してかはわからないが、父はさらに言及する。
「あれは元々が特殊な家であるので、普段から門を広く開放しているわけではなかったが、完全に長く閉ざすことはしなかったはずだな?」
「初めての事態であると把握しております」
宦官が父にそう述べる。