588話 呼び出しされた
――今日の医局は来客が多いなぁ。
さすがに先程の客のような驚き案件ではないだろうとは思うが、雨妹はちょっと懸念していることがあったりする。
「はいはい、病気ですか、怪我ですか~?」
雨妹がそんなことを言いながら外を覗くと、目の前には立派な身なりの宦官がいて、その背後に立派な軒車があった。
「えっ……とぉ?」
ちょっとだけ怖気づいて後ずさる雨妹を、その宦官が頭の先から足の先までをじっくり見てくる。
「その方、張雨妹だな」
「あ、はい……」
よく通る声で名前を呼ばれた雨妹は、ビクッとしながらも大きく頷く。
「陳医官もおられるか?」
続けてそう聞かれて、雨妹がまた頷くよりも先に、
「ここにいる」
なんとすぐ後ろに陳が立っていて、自ら返事をした。どうやらすぐに雨妹の後を追ってきたようだ。
陳のこともじっくりと見て、本人に間違いないと思ったのか、宦官が胸を張って言ってきた。
「では両名、皇帝陛下がお呼びであるので同行せよ」
拒否できない名を出されての呼び出しである。
「はぁ、なんとなく、こうなるんじゃないかと思ったよ」
すると陳が諦めの笑みを浮かべるのに、雨妹は乾いた笑いを漏らす。
「奇遇ですね、実は私も思っていました」
こんなことで気が合いたくないものである。
淑妃なんていう大物が動いて、この微妙な時期なだけに、宮城がなにも騒がないはずがないのだ。これが他のもっと下位の妃嬪であれば問題なかったのだろうが、相手が燕淑妃であるので余計に問題だろう。
――宮城もなんの話だったんだって、知りたいよね。
万が一燕淑妃が良からぬことを考えていたとするならば、その芽を早めに摘み取らなければならないのだから。
「叱られるんじゃないですよね?」
それでも若干ビクビクしている雨妹が小声で言うのに、陳が「う~ん」と唸る。
「事情を聞かれるだけじゃないかとは思うがなぁ」
「私だって、そう願いますけれど」
二人してそんな風にひそひそとしていると、宦官が「エッヘン!」と咳ばらいをした。
「皇帝陛下は寛大なお方である故、些細な事で叱ったりなさらぬ」
宦官にも雨妹の声が聞こえていたようで、そのように言ってくる。
とにかく、今から宮城に向かうことが決定したならば、急いで支度だ。特に陳は外出するつもりのなかった格好だろうから、多少身なりを整えたいだろう。
「戸締りと書き置きの張り紙をするので、少々お待ちを」
陳が急いで中へ戻るのに、雨妹は戸締りを手伝いに行く。陳が「しばし留守にする」という旨のことを書いて、多少ボサボサしていた髪を整え、せめて上着だけでも洗濯したてのものに着替えている間、雨妹は戸締りの確認と火の用心をして、ふと太子宮の方向に目をやる。
――信じてください、私は無実です、巻き込まれただけなんですっ!
雨妹は一応「立彬様から怒られませんように!」と念を飛ばすのであった。
こうして雨妹と陳が並んで中に座り、進む軒車の向かう先は宮城との狭間の宮であった。
「ふわぁ、ドキドキする……」
雨妹はそう言いながらも、思わずキョロキョロしてしまう。滅多に来られない建物に入ると、どんな状況であっても胸が高鳴ってしまうのが華流オタクの性である。
「時々、そのお前さんの強心臓ぶりを見習いたくなるよ」
そんな雨妹を見て、陳が笑っていた。
軒車を下りたら宦官の人について来るように言われて、その後ろを二人で黙って歩く。そしてやがて立ち止まったのは、立派な扉の前であった。
「連れて参りました」
扉越しに声をかけると、中からゆっくりと扉が開く。
扉の向こうは、広間というほど広くはないけれど、そこそこの広さの部屋であった。立派な家具が配置されている内装は、きっと偉い人が使うための場所なのだろうという威圧感がある。卓なんかはどうやって磨いたのだろう? と不思議なくらいにピカピカで、指紋で汚したら叱られそうだ。
そんな部屋の奥にある一際立派な椅子に、既に先客がいた。