586話 どうやら上手くいきそうだ
「見てくれで色々言ってくる輩は嫌いだけれど。ああ、愉快よ。姐姐との会話以外で、このような愉快な気分になったことがあったかしら?」
彼女はどうやら「豪運の女」という評価が妙にツボにはまったらしく、しばらくクスクスと思い出し笑いをしている。
しかし長く笑い慣れていないのか、彼女の笑い声がだんだんとかすれてきている。
「私たちはちょうど生姜湯を飲んでいたのですが、もしよろしければ飲まれますかな?」
陳がそう申し出るのに、彼女がちらりと視線をやると郭が一つ頷いたので、雨妹は郭と一緒に先程作った生姜湯がまだ残っている鍋を見に行く。まだ鍋が温かいので中の生姜湯もほんのり温かい。
「ふむ……美味いな」
郭は中身の生姜湯を匙で掬うと、ぺろりと舐めて目を細める。どうやら合格の味のようなので、これを新しい杯に注いで持って戻る。
「どうぞ」
郭に差し出された杯を受け取った彼女は、ちょうど飲みやすい温さになっている生姜湯をまずは一口含み、「ほぅ」と息を吐くと、そのまま残りも飲む。どうやら喉が渇いていたらしい。そして十分に喉が潤ったらしい彼女は、雨妹の方を見た。
「こんなに笑ったのっていつぶりかしらね。ふふっ、気に入ったわ」
「ご機嫌がよろしいようですな」
思い出し笑いをする彼女に、郭がそう問いかける。それに彼女は笑顔で頷く。
「だってわたくしが『運がいい』と自分で思っている分には、誰にも迷惑をかけないのよ? わたくしもちょっとは、この見てくれを好きになってもよさそうだと思うかもしれないわ」
彼女は「好きになった」と断言はせず、「思うかもしれない」という程度であるが、これだって大きな変化の第一歩だ。
先に挙げたリフィの場合、自己を肯定する基準を他人に据えていたから、自分で自分を立ち直らせることができなかった。けれどこの人の場合、好きも嫌いも己の中で決めているようで、そこがリフィとの違いであるし、彼女の姉をはじめとした周囲の人間が、愛情をもって彼女と接してきた証拠だ。
「ああ、この話を姐姐にしたら、なんと言うのかしら? 想像がつかないわ」
実に楽しそうな彼女だが、美人が楽しそうにしているとこの場が暖かくなったような気分になるから不思議だ。
「主、これよりかのお人を説得する気になりましたかな?」
郭に尋ねられ、彼女は目を瞬かせたものの、先程のような暗い表情は見せなかった。
「そうね、わたくしの姐姐ですもの、大事なのだと心を込めて伝えてみるわ」
彼女からそんな前向きな回答を得られて、陳もホッとしている。
――まあね、患者本人をちゃんと診察したいっていう話が、えらく大事になりかけたもんね。
陳としては「上司から医者にかかるようにチクッと言ってくれませんかね?」という意味合いだったのが、彼女の気分を落ち込ませることになったのだから、実は内心で大いに焦ったことだろう。
しかし、医者の鑑たる陳はそのような内心は全く顔に出さずにいる。
「私どもは、いつでもお待ちしております」
そう言って丁寧に礼をしてみせたのだ。
そんなこんなをしていると、結構な時間が経っていた。
「そろそろ迎えが来る頃です」
郭がそのように言うので雨妹が表を見てくれば、医局の入り口前に軒車がつけられていた。窓がなく、装飾も施されていない質素な作りで、いかにもお忍び御用達軒車である。
「時間を取らせましたね」
彼女は陳にそう述べてから、軒車に乗り込んで帰って行った。
雨妹と陳はその軒車が見えなくなるまで見送ってから、どちらともなく目を見合わせる。