584話 嫌い、ということ
どうやら雨妹自身がなにか怖がるようなことをしたのではないらしい。しかし同時に、雨妹にとって謎の言葉が出てきたのだが。
「あの、『皇族下がり』ってなんですか?」
「なんだ、ある意味当事者なのに知らんのか?」
そっと聞く雨妹に、陳は知らないことが驚きだと言わんばかりの顔で教えてくれた。
「皇族下がり」とは、宮城が皇族名簿から外したので「一般人」となった者を指す言葉であるという。
――じゃあ、私は違うな。
雨妹はあれやこれやの事情でそもそも皇族名簿に載っていないだろうから、皇族下がりですらない完全な一般人枠ということだ。
それはともかくとして。
つまり「皇族下がり」の子は親までは皇族扱いをされていたのに、本人は急に皇族ではなくなってしまうのだから、色々と拗らせるのだろう。そしてなまじ淑妃を輩出するくらいの位の高い家柄の子であった彼女は、その「皇族下がり」から八つ当たりをされたというわけだ。八つ当たりをされた方は、たまったものではない。
――なにはともあれ、私は無罪!
自信を取り戻した雨妹は、もうこの際だから言いたいことを言うことにする。
「そのようなお言葉ばかりを話されていると、そもそも誰からも好きになってはもらえませんよ?」
「……え?」
彼女はてっきり、いつも周囲はそうであるように、雨妹から慰めの言葉が発せられると思っていたのだろう。ツンとした表情が崩れた彼女は、呆けた顔を見せた。
「雨妹、もう少し言葉を選べ」
陳が小声でたしなめてくるが、もう口から出た言葉は飲み込めない。
――それにちょっと強めの表現じゃないと、たぶん流されちゃいそうだし。
ちらりと視線をやった門番の人は、とりあえず成敗したそうな雰囲気を出してはいないので、雨妹はこのままで話すことにする。
「あなたと、あなたの姐姐様の間でなにがあったのか、私にはわかりません。ですが、自分を好きになれないでいる人が、他人からは好きになってもらいたいっていうのは、順番が違うような気がします」
「……順番?」
「ふむ、というと?」
呆けたまま思考が止まっているらしい彼女が不思議そうに呟く一方で、門番の人は興味深そうにしているので、雨妹は続けて話す。
「『好き』は『好き』を呼ぶことが多いですけれど、『嫌い』が『好き』を呼ぶでしょうか? 他人が嫌いだと鼻をつまんで嫌がっているものを、『それでも私はそれを好きだ』と言える人が、どれだけいるでしょう?」
心地よい言葉への共感を口にすることはたやすいが、その逆へ共感を示すにはとても勇気がいる。これは同調圧力に似ているというか、同調圧力と一揃えになって効力を発揮することが多々あるだろう。いわゆる前世での「推し活」で仲間と盛り上がるのもそうだけれど、誰かの悪口を言い合ってなんとなく連帯感が生まれるのも、大きな括りで言えば同様だ。
それでも、「好き」の方が心地よく聞こえて共感を示しやすいのは確かで、「嫌い」という言葉を多用する人を付き合いやすいと思うかというと、少なくとも雨妹の答えは「否」だ。
「誰かと仲良くしたい、好きでいてもらいたいと思うならば、どんなことであれ自分の口から『嫌い』の言葉を使わず『好き』と言うようにするのが、一番の近道なのです」
「まあ、一理ある。人の心なんてそんなもんだ」
雨妹が語ったことに、陳も同意してくれる。
「説得力はあるな」
門番の人も同じく同意してくれた。が、しかし――
「……わかりません。わたくしの好ましいところとは、どこでしょう?」
一人、彼女はいまいち気持ちが乗れずにいるようだ。