582話 こちらも、また会った
なんと切ないことを言うのだろうと、雨妹まで悲しくなってくる。
――自分が嫌い、かぁ……。
卑屈とも思える発言だが、妃になるような人物とは、こういうところが両極端なのかもしれないとも、雨妹は思う。
なにしろ妃というのは、それが妃嬪であれ四夫人であれ皇后であれ、自ら立候補してなれるものではない。宮城からの要請を受けてそれぞれの一族が「これぞ」という女性を選び出すのだ。そういう時に選びやすいのは、自分のことが大好きで「私が一番!」という自信に満ち溢れていて、崇め奉られることが快感である人か。もしくはそれとは逆に、一族の主に粛々と従っており、自己を消すことで生き抜いている人だろう。
一族にとって扱いやすいのは、後者の女性であることは言うまでもないが。
――なんだかなぁ。
雨妹が陳となんとなく顔を見合わせていると。
コンコン!
部屋の入口を叩く音がしたので、雨妹はハッとしてそちらを振り向く。誰か来たのに、話に集中していて全く気付かなかったとは、迂闊である。
入口の壁を叩いたのは、そこに立っている人だった。というか、雨妹には微かに見覚えのある姿だ。そう、燕淑妃宮を訪ねた際に門番をしていた女性ではないか。
「失礼、声をかけても返事がなかったもので、勝手に上がらせてもらった」
その門番の人は、そう言って軽く目礼したのだが、雨妹を見て目を丸くした。
「おやお前、あの時の掃除係の宮女ではないか」
あちらも雨妹のことを覚えていたようで、すぐに納得したような顔になる。
「そうか、お前はこちらによく世話になると言っていたな。ちょうど居合わせたのか」
「……あ」
そう話す門番の人を見て、彼女はすっと表情から感情が消えてツンと澄ました顔になった。
――うわぁ、即変わった!
その仮面を被るかのように表情を変える瞬間に、雨妹は「人形のようだ」という許の話を思い出す。あれは、この人が重度の人見知りだという以外にも、なにか理由があるのかもしれない。
「主、それで『お願い』はできましたか?」
「……途中です」
門番の人が彼女にそう尋ねたら、小声でかろうじてそう答えた彼女に、門番の人が微かに眉を上げる。「時間がかかり過ぎでは?」と言いたいのかもしれない。時間がかかっている主な要因は雨妹の存在である気がしてならないので、そこは責めないでほしいところだ。
門番の人は、年頃は楊よりも多少年上だろうか? 主と呼ばれている彼女の、親ほどではないが、ひと世代上なのは間違いない。彼女はツンとした顔をしているものの、門番の人に対して緊張している様子ではなかった。案外気安い相手なのだろうか? それに門番の人は宮女の格好をしているが、このようないかにもお忍びでの行動について来るのだから、主やその周辺から信頼を得ているのは間違いないだろう。
―― 一人で行動しているように見せて、つかず離れずの距離にこの人がずっといたってことか。
なにはともあれ、雨妹がまた燕淑妃宮へ知らせに走る必要はないようで、そこにホッとする。
そしてなんとも気まずい沈黙がこの場に降りたのだが。
「いいですかな?」
そこへ、陳が彼女の方を見ながら手を上げて発言を求めた。
「……なにかしら?」
これまでとは違って感情の乗らない小声で発言を促した彼女に、陳は告げる。
「私は患者が求めれば診察もしますし、薬も出しましょう。けれど、やはり一度姐姐様ご本人の話を聞きたいのです。なにが苦しくて、なにが不自由なのか、それを確かめることが治療の第一歩ですから」