580話 怖がられた
「あ、え、なんかごめんなさい!?」
衝撃の事実に、雨妹はとりあえず謝る。なにがこの人を怖がらせたのか、声が大きすぎたのか?
「……!」
しかしこの雨妹の謝罪にも、彼女はガタガタと震え出す。
「雨妹、ひとまず黙って下がった方がいい」
状況が悪化したのを見た陳から、そう言い渡されてしまった。
「……はぁい」
雨妹はしょんぼりと陳の背後に下がると、ひょっとして怖い顔をしていたのかもしれないと考え、頭巾をより目深にして顔を半分隠す。
「……ほぅ」
雨妹が遠のいたからだろうか、その人は大きく息を吐いてから、外套に手をかけて顔を露わにした。
「「……!」」
その外套の下にある姿を見て、雨妹と陳は同時に息を呑む。
まず、非常に美しい女性であった。日焼け知らずの白い肌に、流し目の似合いそうな目ときりりとした眉、そして蠱惑的な赤い唇。「これが美人の見本だ!」と教科書に載せたくなるような、疑いようのない美しさだ。
――わかっていたけれどこの人、絶対に宮女なんかじゃない!
雨妹と陳は同じことを考えたようで、二人無言で頷き合った。
彼女の肌の白さもそうだが、外套に触れた手に肌荒れが見られず、宮女どころか労働をする女官であっても、このような手肌になるだろうか? そんな人がたった一人で医局の前に立っていたわけだが、これを面倒事ではないと言う方が無理だろう。
「ゴホン! ええっとあの、なにか薬が必要なので?」
陳が咳ばらいをして気を取り直してから、そう問いかけた。とはいえ、見るからに医局に薬を貰いにくる身分には見えない。その前に、具合が悪くなれば誰かしらに世話を焼かれる身分であろう。
「その……あの……」
彼女は小さな声でなにかを言おうとしては躊躇うのをしばし繰り返してから、意を決したように告げた。
「薬が欲しいのです!」
大声ではないがはっきりと聞こえる声で述べたので、彼女としてはかなり声を張ったつもりなのかもしれない。医局で薬を求めるのは当たり前の行為なのだが、彼女がそれを躊躇うには理由があった。
「ですが、わたくしではないのです、薬が欲しいのは……」
そう言ってから台詞の最後の方でまた小声に戻ってしまった彼女に、陳は「そうですか」と微笑む。
「誰かの薬を、代わりに貰いにこられたのですね?」
雨妹だってよく湿布薬などを他の宮女たちの代わりに貰って帰るので、そうおかしなことではないと後ろでウンウンと頷く。
「他人の薬も、貰えるのですか?」
陳が嫌な顔をしなかったのに彼女は安心したようで、また声がちょっと張ってきた。
「ええ、出せる薬と出せない薬はありますが。けどできれば、患者の状態を診察してから薬を出したいですね」
この陳の意見に、彼女がパアッと表情を明るくしたので、美人がさらにまばゆく際立つ。
「それならば、こちらが姐姐に良くしてくださったと、お聞きしたのです」
「「はい?」」
彼女の言葉に、雨妹と陳は目を丸くした。
姐姐とは姉のことを指す呼び方である。すなわち彼女にとっての姉が医局で良くしてもらったのだと、この人は言う。はて、医局にくるのは宮女が主なので、このような身分が高そうな人が「姐姐」と呼ぶような人が、果たしてこれまで来たのか? とまで考えたところで、思考が止まった。
――いや、来たよね。
雨妹がすぐに思い至ったのは、ここ最近雨妹の注目を集めているあの人のことである。