577話 怖かったんです!
そんなことがあった後の、夕食時のこと。
雨妹は食堂で都合よく楊を発見できた。既に食事を終えているようで、お茶を飲んでいた。
「楊おばさぁ~ん!」
「おや小妹、血相変えてどうしたんだい?」
雨妹が顔ほどもある大きな包が載った皿を持って前の席に座ると、楊が顔を上げた。
「はぁ~、実はえらい目に遭いまして」
「まあ、まずは冷めないうちにお食べよ」
雨妹は話し始めようとするのに、楊が待ったをかける。確かにしゃべり出したら止まらなくなり、包が冷めてしまうかもしれない。そんなことは食事に対して失礼だ。
というわけで、雨妹は皿の上の大きな包を手に持って割ると、ゴロッと大きな肉などの具材がこぼれ出てきた。それをなんとか具と皮を上手いところ口に入れれば、肉汁でトロッとなっている皮と相まって美味であった。
「ん~、おいひい」
この大きさもワクワク感が演出されてすごくいい。こうしてハフハフしながら大きな包を食べ切ってから、雨妹は改めて楊に言う。
「聞いてください、大変だったんです!」
今日遭遇した出来事を大いに語る雨妹の身振り手振りを交えての説明に、いつしか周囲の卓にいる宮女も耳をそばだてていたのだが、それに雨妹本人は気付いていない。
「……ってことなんです。すごく怖かったんですよ!」
「おやまぁお前さん、あの現場にいたのかい」
雨妹の説明を聞いて、楊がいっそ感心したような顔をした。
「『宮荒らし』を目撃するなんて、運がいいんだか悪いんだか」
楊の口から、なんだか不穏な二つ名が聞こえたのだが。
「『宮荒らし』って、なんですか?」
恐る恐る尋ねる雨妹に、楊がお茶のお替りを自ら注ぎつつ口を開く。
「小妹が見たのはそのお人は、呉様だね。一部では恐れられているお人さ」
楊によると、呉とはかつて後宮にいた妃嬪の一人についていた女官だったという。その妃嬪が尼寺行きとなった後にも、色々な妃嬪の元を転々としたのだが、どの妃嬪も皆後宮を出てしまっていた。主をことごとく宮から追い出していることから、ついたあだ名が「宮荒らし」である。
――なにそのクラッシャーな人。
話を聞くだけだと、あの女官が宮崩壊を企んでいた風に聞こえてしまうのだけれど、雨妹は一応確認をする。
「あの、『宮荒らし』とまで呼ばれるようになったのって、呉様が単に主運がなかったのか、それとも呉様ご本人にもなにかしらの原因があったのか、どっちでしょう?」
雨妹の質問に、楊が「ふぅむ」と考え込む。
「そりゃあ、しいて言えばどっちもかねぇ? 問題児ばかりを押し付けられている方だから」
「問題児……」
「けど、ご当人の性格もある。とにかく曲がったことと馬鹿者が嫌いな人さ」
曲がったことと馬鹿者が嫌いだと宮荒らしになってしまうとは、後宮とは因果なものだ。
――まあ、そう言う人が活きる場所っていうのもあるんだけどね。
以心伝心が過ぎて色々と妥協の宝庫と化した職場だと、風穴を開ける良い人材だったりする。なので人事を預かる人の采配が重要なのだ。前世でも、そうした人間関係クラッシャーのような人はたまにいた。わざと演じている人もいるし、本人はすごく真面目に生きているだけの人もいる。果たして呉はどちらであろうか?
雨妹がちょっと引いている様子に、楊は怖がらせたかと思ったようで、口調を和らげて言った。
「普通に礼儀正しくしていれば、普通にいいお人だよ」
楊が普通を強調してくるが、普通でなかったら雨妹が目撃したようなことになるということか。
「説教されていた連中も、普段自分が下の連中にやっていることをそのままやられたってことだろうさ。さぞ怒り心頭だろうねぇ」
「ああなるほど、そういう意味もあったんですね」
雨妹はあの公開説教の真意をようやく知る。現場ではなにもかもが衝撃的過ぎて、考察ができていなかったのだ。
――けど立彬様、どうせなら呉様の方も教えてくださいよ!
雨妹は太子宮に向かって、心の中で文句を言う。
「それにしても後宮って、まだまだ私の知らない個性的な人が潜んでいるんですねぇ」
雨妹が思わずそうぼやくのに、楊がくっと口の端を上げた。
「そりゃあこれだけ人が集まれば、個性的なんてザラにいるさね」
なるほど納得である。