572話 まさかの正体
「人形、ですか?」
これまた新たな情報である。美しい上に人形みたいとは、現実離れした人なのだろうか? 首を捻る雨妹に、許が説明してくれる。
「表情がピクリとも動かないし、喋らない。じっとしていると本当に精巧な人形じゃないかって疑っちまうんだよ」
「ははぁ」
雨妹はなんとか燕淑妃像を想像しようとするも、
――絶対にあの父好みの相手ではないな。
まず浮かぶ感想はコレだった。
燕淑妃には既に嫁いだ娘がいるという話だが、よくあの父との間に子どもができたものだ。そのくらい権力の均衡の面で、燕淑妃との間に子どもを儲けるのは必須事項だったのかもしれない。
雨妹がそんなことを考えていると、許がポロリと零す。
「あの方が唯一表情らしいものを見せるのは、燕女史と話す時かね」
「燕女史? 誰です?」
初出の名前にぐっと身を乗り出す雨妹に、許が語る。
「燕淑妃の側近の女官で、燕淑妃の実の姉君さ」
「……!?」
雨妹はギョッと目を見開く。
いや、上位の妃嬪はその座を他家に奪われないために、万が一の際に成り代われる娘を傍に置くことは普通にある。なので燕淑妃もそうであるのは、なにも不思議ではない。しかしここで問題なのは、その「女史」とやらは誰かということだ。
「ご姉妹お二人が並ぶと、それは見ごたえのある美しさでねぇ。思わず見とれちまうのさ」
そう言ってその光景を思い出したのか、許が「ほぅ」とため息を漏らす。
――いや、失礼な話だけれど、あの人はそういう感じの人じゃあなかった!
雨妹は安堵しかけたものの、すぐに陳が「もっと若いはずだ」と言っていたのを思い出す。甲状腺の炎症による症状が悪化して、容姿に影響が出ているのだとしたら――
不安が不安を呼び、雨妹は自身の顔色が若干悪くなっているように感じた。
「おや、どうした? 変な顔をしてさ」
許も異変に気付いたようで声をかけてきたが、雨妹はそれに構う余裕もなく質問を口にする。
「燕淑妃には側近の女官さんって、大勢いますか?」
「いいや、燕淑妃は人を寄せ付けないお人だから、常に従う女官はただ一人だけさ」
「決定したぁ~!?」
雨妹は堪えきれずに叫び声をあげてしまうと、ガクリとその場に崩れ落ちた。
――あの女官さんって、燕淑妃のお姉さんだったの!?
そう言う身分であるならば、最初に彼女を見た時に周囲をがっちり守られていたのも道理である。妃の姉君であれば、身の危険は様々にあるだろう。そしてすなわち雨妹は、燕淑妃宮の事情にがっつり食い込んでいるということになる。
――その情報、もっと早く手に入れたかった!
自分の野次馬根性の引きの強さを、こんなに恨めしく思うことはかつてあっただろうか? それとも、興味本位で情報を集めたのが良くなかったのか? 無関心を貫いていれいばよかったのか? 様々な「もし」が脳内をグルグルと渦巻く。
雨妹が打ちひしがれるのに、許が苦笑する。
「その様子だと、面倒ごとに首を突っ込んだのかい? お前さんは変わらないねぇ」
「ははは……」
許の指摘に、雨妹は乾いた笑いしか出ない。
――いや、まだ間に合うはず!
雨妹は燕淑妃本人との面識ができたわけではない。この線を死守すれば、逃げ道は残っているはずである。立彬から冷めた目でグジグジと説教されることは、自分だってぜひとも避けたいのだ。
「よし、余計な好奇心を持たない。しばらくは大人しく掃除だけをしています!」
雨妹の強い決意に、しかし許が懐疑的な目を向けてくる。
「雨妹、諦めが肝心じゃあないかねぇ?」
この許の忠告が、妙に胸に響く雨妹であった。




