568話 盛り上がって、思い出す
皇太后は敵対する妃を「呪い」という言葉で追い詰めるのが好きだった。皇太后が失脚した今、その「呪い」攻撃にお墨付きを与えていた道士までもが一緒に嫌われるのは、自然な流れだろう。この女官は、陳がその嫌われ者の道士と一緒に居ることを目撃されて、「あの医官も道士の仲間なのではないか?」という憶測を呼ぶのを避けたかったらしい。
――ってことは、この人が道士だっていうのは有名な話だとか?
けれど、それで女官の体調をないがしろにするわけにはいかないので、雨妹は真摯な眼差しを彼女に向けた。
「ですが、ぜひ一度ちゃんと陳先生の診察を受けることをお勧めいたします。先生があなた様が病を抱えている様子であるのを、心配していらっしゃいましたので。陳先生はあなた様を迷惑だなんて言うお人ではありませんよ」
彼女が甲状腺に病を抱えているのは心配なので、雨妹は目を合わせて忠告した。道士ならば、自身の体調の悪さの原因に思い当たっているかもしれない。けれど病は陳の方が専門家なので、ぜひ頼ってほしいところだ。燕淑妃に近しい女官だとしたら、余計に身体を大事にしてほしい。
雨妹の言葉を聞いて、女官は目を細めて微笑んでから答える。
「やはりよい医者殿だ。では、いずれな」
――それ、結局病院に行かない人の答えだよね?
患者の「いずれ」は「行きません」とほぼ同意なのだ。雨妹が少々眉間に皺を寄せつつも、彼女の懸念もわかってしまうので、難しいところだろう。
それにしても、女官で道士だなんていう人の話が雨妹の野次馬耳に入ってこなかったのは、彼女がよほど雨妹の行動範囲と被らなかったのかもしれない。まあ確かに、高位女官と下っ端掃除係で行動が偶然被ることなど、ほぼないのだけれども。それにしても、もっとファンタジー世界要素を探してみればよかったと、「惜しいことをしたなぁ!」なんて考えてしまう。
けど一方で、雨妹は立彬から「燕淑妃には近づくな」と言われたのだったと、今更ながらに思い出す。
「……」
はっきり言って忘れていた。なんならものすごく話が盛り上がっていた。
――あれ? これは許容内か許容外、どっち?
いや、雨妹はあくまでいち女官と個人的に話が弾んだだけで、燕淑妃当人や宮の事情などの情報は全く手に入れていないので、まだ無事だということにならないだろうか? 女官も雨妹がそういう探りを入れようとしなかったので、警戒心が弱かったのだろう。
なにより、雨妹は相手に名乗ってすらいない、偶然居合わせただけの掃除係だ。
――そうだ、まだ逃げられる!
雨妹は意気込んでから、改めて女官に向き直る。
「あの、ではこれ以上お邪魔をするわけにはいきませんので、私は仕事に戻ります」
雨妹はこれからごみを焼きに行かなければならないのは本当なので、別れの挨拶をして立ち去ろうとする。
「そうか。箒を持ち歩くお前は掃除係で、あちらにごみを焼くための場所があるのだろう? 悪しき気に汚染されたものを燃やして天地に返す、尊い行為であるな」
すると女官がそのように言ってきた。
「そうですか? へへへ」
なんだか掃除係が神に仕える仕事のような口ぶりであり、こんなに持ち上げられたことはこれまでになくて、雨妹は自然とニヤニヤしてしまう。どこまでも雨妹の気分を上げてくれる人である。そんな雨妹に、彼女は札を数枚差し出してきた。
「お前にこの札をやろう、ごみを焼く際にこの札を一枚、一緒に焚くがよい。災いの元となる悪しき気を散らし、お前たちの尊き仕事の助けになろうぞ」