562話 女官の体調
「俺だってそう詳しくは知らんが、確かあのお人は燕淑妃の信頼厚い女官殿だったはずだぞ」
陳が彼女についてそう教えてくれる。
言われてみれば彼女を最初に見た際の、大勢でぞろぞろ歩いていた様子では、周りから守られている立ち位置だった。偉い女官であるのならば、それも納得だ。
となれば、そんなお偉い女官が何故あんなところで一人建物の隙間に隠れるようにしていたのか、なおさら謎である。立彬あたりに言わせると、「そんなあからさまに怪しい現場に近付くな!」と言われてしまうのかもしれないけれども。
「私が通りかかった時は、具合が悪いのを誰にも知られたくなくて、隠れていたんですかね?」
「まあ、今の状況だと燕淑妃宮は敵が多そうだし、そうかもしれん」
雨妹の推測を陳は否定せず、話は彼女の体調についてに移る。
「喉のこのあたりが腫れるっていう患者は、たまに見るもんだ」
陳が自身の喉ぼとけの下を触ってみせた。男性程は目立たないだけで、女性にも喉ぼとけはあるのだが、その下あたりということは。
「甲状腺ですかね?」
雨妹も自身の喉を触りながら指摘する。
「さすがだ、よく知っているな」
陳は少しニヤッとしてから、眉をひそめた。
「ここの腫れは案外繰り返す。体質もあるな」
陳の説明に雨妹も頷く。前世でも元々甲状腺が弱いという患者がそれなりにいた。
甲状腺で雨妹がすぐに思いつくのは甲状腺炎だ。彼女はえらく眠そうであったし、ちょっと厚着をしているのも寒がっているものであり、多少むくみも出ていたようにも思えるのは、炎症が慢性化して甲状腺の機能が低下している患者に見られる症状である。
甲状腺炎は女性の方が発症する率が高い上に、その症状が生理による不調であったり、更年期の症状とも重なることが多いので、「疲れているだけだ」「歳のせいだろう」と見過ごされてしまいがちという問題があった。
「あの方の具合が悪そうなのは、あの喉の腫れのせいかもしれませんね」
「ちゃんと診てみないとなんとも言えんが、可能性は高いな」
日常生活に支障が出ているとしたら、ちゃんと薬を飲んで治療してほしいものだ。特に宮で大事な地位にいるのだとしたら、宮の主も彼女の不調で困ることが多々あるだろう。甲状腺炎での諸症状は働き盛りの年頃に重なることが多いのだが――
「あれ、ってことは、私はあの方を楊おばさんくらいの年齢かと思ったんですが。ひょっとしてもっと若いとか?」
そんな事実にふと思い至った雨妹に、陳が苦笑する。
「そう思ってしまったのもわかるがな、楊殿よりはずいぶん若いはずだぞ。確かに顔色の悪さやらむくみやら疲労やらで、だいぶ老けて見える」
――よかった、早く気付いて!
女性の年齢は繊細な問題なので、このことで高位女官を敵に回すのは避けたいところだ。そう思うと同時に、そんな体調不良の中で彼女はどうしてあんなところにいたのだろう? というのも気になるところだ。
「具合が悪くなってとっさに建物の隙間に避難したにしても、高位の女官があんな場所でなにをしていたんですかね?」
首を捻る雨妹に、陳が渋い顔をする。
「それ以前にだ。確認しそびれているが、あの方は宮の他の方々に、あちらに出かけていることを伝えてあるのか?」
「……それがありましたね」
雨妹も今更に思い至る。どう見てもコソコソ行動していた様子であるし、ひょっとしたら行方不明扱いになっていて探されているかもしれない。そうなると、大事になっていやしないだろうか?
――あ、心配になってきた!
「私、一度戻って楊おばさんに相談してみます」
「そうした方がいい」
雨妹の意見に、陳も賛成した。
ということで雨妹はお茶を飲み干してから、三輪車を飛ばして大急ぎで帰るのだった。