550話 日常が戻る
雨妹は百花宮に帰って来た。
「はぁ~、もはや『懐かしの我が家』感があるぅ」
旅から帰った後の休養日の朝、雨妹は布団の上でゴロゴロしながらまったりと独り言ちる。
友仁一行が解散となってさっそく自宅に戻れば、これまで気を張っていた分の疲れがドッと出たようで、荷物の片付けもそこそこに爆睡してしまったりする。百花宮に入れば自然と安堵のため息が出てしまったし、この後宮は日常の場なのだと、改めて感じ入る旅であった。
このように雨妹はアレコレを思い返しながら、そろそろ着替えて朝食を食べようと、荷物を持って新たな食堂に向かう。
ちょっと遅い時間になったこともあり、食堂は仕事に向かう宮女たちの混雑は過ぎており、比較的閑散としていた。
「美娜さ~ん!」
雨妹は厨房に美娜の姿を見つけて声をかける。彼女は雨妹よりも少し先に帰って来ていたようで、台所番としてもう新たな厨房で働いていた。
「阿妹、おはようさん。それとお帰り!」
「はい、ただいまです。後でお土産渡しますね!」
そんな会話を交わしてから、雨妹は料理を受け取る。
広くなった人がまばらな食堂には他にも顔見知りもいれば、見知らぬ顔もいる。雨妹は引っ越さずに済んだが、大部屋が別の建物へ移動となったり、部屋持ちも建物を移動だったりで、これまで生活圏が違った宮女たちと顔を合わせることになったのだ。
雨妹はそれぞれに挨拶をしながら席に着くと、ワクワクと朝食を食べる。
都はまだ残暑の季節なため、献立はつるんと食べられる冷や麺である。生姜たっぷりの汁が口の中でピリッとして、暑さにやられ気味な食欲を刺激してくるのだ。
「はぁ~、これこれぇ。やっと帰ってきたって気分!」
「はっは、そうだろう?」
雨妹は一年と少しで慣れた味にニッコリしていると、どうやら休憩に入るらしい美娜が雨妹の隣に座った。
「食べ慣れた味が一番美味いってことだよ。アタシも山の幸を堪能したけれど、長くなると飽きちまっていけないね」
「わかります、美味しいのは最初だけなんですよね」
「けど、阿妹が喜びそうなのがあったんで、土産にしたよ」
「わぁ、じゃあ後でお土産交換しましょう!」
こうして雨妹が冷や麺を食べながら、美娜と出先の話で盛り上がっていると。
「帰ったばかりだろうに、朝から元気だねぇ」
そう話しかけられ、振り向けば朝食の器を持った楊がいた。
「楊おばさん、おはようございます。昨日帰ってきました!」
「ああ、色々あったみたいだけれど、まずはお帰り、小妹」
挨拶に応じた楊が、雨妹の座る卓の正面の席に着く。
「楊おばさんにもお土産があるんですけれど、後で持ってきますね。珍しいものがあったんですから!」
「そうかい、楽しかったみたいだね」
そう言って微笑む楊だが、すぐに「ふぅ」と息を吐いた。
「長旅だったんだし、本当ならばゆっくり休めと言いたいんだが。生憎と掃除係は手が足りないんだ」
「でしょうねぇ、この様子だと」
苦悩する楊に、雨妹は苦笑する。
雨妹でも帰って来てちょっと見ただけでわかるくらい、後宮はどこも忙しない。とりあえず施設は最低限の体裁が整ったようだが、あちらこちらでまだ大工がトンカンやっている音が響いている。
その上妃嬪たちの数が大幅に減ったことで、後宮内の区画整理のために多くの妃嬪が宮を引っ越すことになり、それもあってバタバタしている。そして引っ越しの手伝いに動員されるのが、雨妹たち掃除係である。
「私は帰りの道中はゆっくり過ごさせていただきましたので、さほど疲れてはいません。気疲れはしましたけれど、それは今日一日のんびり過ごせば回復しますし、明日からでも働けますよ」
「そりゃあ有り難い」
雨妹の返事に、楊がホッとした顔になった。
「小妹には、王美人の新しい宮に行ってほしいんだ。あそこは公主殿下を預かる宮になるからね、完璧に整えないといけない」
「なるほど、わかりました!」
楊からの頼みに雨妹が大きく頷くと、そこに美娜が口を挟む。
「けど阿妹、迷子にならないようにね。あっちこっちに壁ができているから」
「そうなんですか?」
忠告してくれた美娜曰く、工事関係者と後宮住まいの女たちを分けるために、簡易の壁がそこかしこにできていて、後宮内はちょっとした迷路となっているのだという。
――う~ん、そういうのって、友仁殿下が張り切りそう。
さて、その友仁は今日早速皇帝に帰ったことを報告するらしいが、上手く話せているだろうか?