540話 宇、無双
無邪気に言う宇に、雨妹は頬を引きつらせる。
――なんか、不穏に聞こえるんだけど?
その選択肢では、言うことをきかなければ物理で証拠隠滅されてしまいそうだと思うのは、雨妹が宇の前世を知っていることによる思い込みかもしれない。
『意味の分からぬ子どもめ』
言われたジャヤンタは呂の通訳を聞き、宇の言葉を子どもの戯言だと思ったらしく、相手にしない態度であるが。
「えぇ、わからない感じ?
まあみんな、『あなたが邪魔なんです!』とは言い難いかぁ」
なんでも直球勝負の宇に、友仁が目を白黒させている。
「けどさぁ、そっちだってわかるでしょ?
余所の国の王子が急に内緒で会いに来て『助けてくれ!』って言ったら、あなたは堂々と匿うの?
国の面子とかあるし、いきなりは無理でしょう」
この宇の意見を呂から聞かされ、ジャヤンタが凍り付いている。
――こんなに堂々と「追い出すからね!」と言われるとは思わないよね。
しかし怒らないところを見ると、ジャヤンタ自身も己の存在が崔国の危機に繋がるという意識が、頭の片隅にはあったのだろう。
「で、どこに行きたい?
今なら可能な範囲で希望が通るかもしれないよ?
さぁさぁ、どこに行きたいっ!?」
「海楽しいよ、海にしない?」
急き立てる宇に、静も話の流れがわかっているかは定かではないが、自らのお勧めを言っている。
「ちなみに答えがないなら、こっちで勝手に行先を選んじゃうからね?
こっそり運び出すのは、利民様が『まかせとけ!』だってさ」
事情を大体把握した利民も、大々的に協力してくれるようだ。
というか、宇がこちらに直に様子を見に来たのは、利民からの口添えもあったのだろう。
――まだ子どもの宇くんは、一人で関所を越えられないもんね。
いくら元何大公とはいえ、関所越えをしての旅にはやはり、大人が出した大義名分が必要なのだ。
こうしてえらく速やかに事が運んでいるが、そのくらい他国の、しかも敵国の王太子というのは、抱えるにはやっかいな存在だということに他ならない。
それをしばらく一人でひっそりと抱えた沈の苦労も知れるというものだ。
しかしこの双子の勢いに、ジャヤンタが警戒の目を向けた。
『そんな言葉で誤魔化して、どうせどこかで殺す気だろう。
邪魔者を手っ取り早くどうにかするには、それが一番確実だ』
「……ぁあ?」
このジャヤンタの言葉を呂から通訳され、宇がムッとして低い声を漏らす。
「あのねぇ、なんで僕らがあんたなんかの死を背負わなきゃいけないの?」
鋭く斬り込むような宇の言葉が、部屋の温度を少し下げたかのようだった。
「雨妹さんたちに優しくされて、調子に乗っちゃった感じ?
僕、そういう被害者面して同情してもらえるのを待つような態度、大っ嫌いなんだよね」
宇の穏やかな口調ながら言っていることの激しさに、友仁やリフィが固まり、胡霜が目を丸くしている。
「本当に同情してほしいなら、自分の立場とか誇りとかをほっぽり出して、犬よろしく尻尾を振ってでも同情を引き出しなよ、半端に可哀想ぶらないでさぁ。
その点は、少なくともあの従兄は上手くやったかな。
アンタのそれはね、単なる駄々っ子っていうんだ。
第一」
そこで宇は言葉を切り、その視線をさらに冷えさせる。
「僕の静静のこれからの人生をつまらないものに堕とそうなんて、許さないからね!」
どこまでも静を中心に世界が回っている宇であった。
――言っちゃっているなぁ、宇くんってば。
どうやらジャヤンタは、宇の嫌いな質の人間のようだ。
だが宇の激しさに困惑の表情であったジャヤンタが、その最後の台詞を呂から聞かされハッとした顔になる。
それは、己の慟哭に似たものだったからだろう。
『子どもが、なにを知った風なことを……!』
『やめときな』
しかしすぐに反抗心を起こしたらしいジャヤンタを、呂が止めた。
『そちらの分が悪い。
こちらは我が国で東国を退けた功労者の一人、元何大公でいらっしゃる』
呂が言い聞かせるように告げると、ジャヤンタは沈黙する。