530話 凋落
そして沈が謝罪ついでに言い訳をした。
「言わせてもらえば、今回はあちらが想定していた以上の悪手であった。
連中がここまで考えなしの馬鹿だとは思わなかったのだ」
沈はこれまで宜の脅威が身近であったために、敵を大きく見積もっていたのは無理もないと雨妹も思う。
国境を守る立場としては、敵を過小評価しない姿勢は必須である。
ただ、宜への「まさかここまで馬鹿ではないだろう」という信頼の底が抜けてしまったのが、状況を読めなくしてしまったようだ。
――なるほど、ドラマばりに敵との頭脳戦でドキドキ展開になるには、敵の頭が良くないとダメなのかぁ。
しかしよく考えなくても、頭のいい人は誰かの敵役になるよりも、自分が主役になる道を歩む気がする。
物語を盛り上げるのが役目の敵役なんて、損でしかないのだから、その道を選ぶはずもない。
世の中とは案外、巨悪なんていうものなんて本当はなくて、人の想像力や恐れが存在させていたのかもしれない。
そう、追い詰められれば当人はなにもできなかった皇太后のように。
それで言うと、宜は確かに行き当たりばったりな感じはある。
王太子であるジャヤンタは邪魔だからと殺されかけて、やっぱり必要だと攫おうとするなんて、行き当たりばったり以外の何物でもなく、勝手である。
これではまるで、中古品の売買みたいではないか。
いや、武器と兵士を同様に「商品」として扱ってきた宜の商人たちは、自分たち以外の人間のことを物としか捉えていないのかもしれない。
だが、人の人生を品物の売買と同じに扱うなんてこと、許されるはずがない。
人はいらなくなったから売って、やっぱり必要になったから買い戻せばいいというものではない。
物言わぬ品物と違い、人には感情があり、それを表す口だってあるのだから。
そうやって「品物」として粗雑に扱われた人々から、いずれしっぺ返しを受けるであろう。
そんなことを考える雨妹だったが、沈が表情を引き締めて告げた。
「そう遠くない未来に、宜は落ちるやもしれぬ」
雨妹の考えのさらに先を予測した沈の言葉に、立勇や明も息をのむ。
沈の言う「落ちる」とは、王が変わるというだけではなく、政権崩壊が起きるということを意味するものだと、その声音で想像できた。
明が難しい顔で顎を撫でる。
「それだけ宜にとって、東国の敗走が想定外だったのだな。
捨てた王太子を再び呼び戻そうというのは、悪あがきということか」
そう述べる明に続き、立勇も思案気である。
「現在の周辺国での政策は『平穏』が流行だと聞いています。
兵士を買ってまで戦をしたがるのは、東国が最後だったのでしょうね」
どうやら国の政策にも流行というものがあるらしい。
きっと立勇の本来の主である太子は、自国や他国の歴史の傾向などを詳しく勉強しているのだろう。
大人たちの難しい話に、友仁が「う~ん」と唸る。
「今日はのんびりしたい気分なのに、駆けっこに誘われても困る。
そういうことかな?」
「概ねあっていますとも」
友仁のたとえ話に胡安が大きく頷いていると、通路を駆けてくる足音が聞こえた。
その兵士は林を見付け、ひそひそと耳打ちした。
「殿下、敵を手引きしたらしき者の跡を見つけたそうです」
「すぐに案内せよ」
林が報告すると、沈はすぐに現場へ向かおうとする。
ここで友仁側は、雨妹と立勇が沈と共に付いて行って確認することにして、友仁は安全な場所へ移動することになった。
友仁は色々なことが一度にあり過ぎてきっと疲れているだろうから、まずは休息が優先である。
「休憩の手配は、リフィが整えている」
沈がそう告げると、呂がさっと友仁の側に寄ったので、友仁が休んでいる間にジャヤンタのことは上手くやってくれるだろう。
「わかりました、雨妹と立勇は気を付けて」
「「ありがとうございます」」
大人しく休憩しに向かう友仁から声をかけられ、雨妹と立勇は礼をしてみせた。