529話 ようやく退場
――強くなったなぁ、友仁殿下。
まあ友仁にこういう言動を吹き込むのは、後宮でのお付きの宮女である如敏だろう。
それに文君は友仁を虐待していたわかりやすい悪人だが、彼女の周りでただ追従して意地悪していた者たちだって質が悪い。
人によっては罰を免れ、今でも何食わぬ顔で友仁の周囲をウロウロすることもあるかもしれないが、友仁がその者たちに対してどういう態度を取るかは、彼の今後を決める中でも重要なことである。
さらに言えば、以前の友仁は文君に生活の全てを支配されたせいで、大人しくせざるを得なかっただけだろう。
今の友仁は散歩などでの個人行動を好み、人見知りをするわけでもなく、案外社交性が強めである。
これが本来の彼なのだとしたら、ある意味あの太子よりも父に似ているかもしれない。
いや、恐らくは父に似てきた友仁が恐ろしかったからこそ、文君は苛烈に友仁を虐め抜いたのだ。
もしくは、文君の裏で皇太后がやらせていたのだろう。
友仁があっさり文君に逆らう気を失くし、素直に言うことを聞く人形と化していれば、あそこまでやる必要もなかったし、友仁が逃げ出した先で雨妹と出会うこともなかったのだから。
むしろあの環境で友仁に逃げ出す根性があったことが凄い。
――結局人生って、どう転ぶかわからないものだよね。
一瞬そんな思いにふける雨妹であったが、目の前では子どもに諭された斉家の娘が愕然としていた。
「わたくしは……」
それ以上なにも言えずに黙り込む彼女の前に、進み出た立勇がその首に剣を突き付けた。
「どんなに言い訳したとしても、お前が皇族に無礼を働いた時点で罪である。
そんな当たり前の事実もわからぬとは、斉家は宜より放り投げられる餌を待つだけの犬と成り下がったか」
「なにを……」
「犬」とまで言われた彼女は反射的に言い返そうと口を開くが、剣先がさらに近付くと身体を強張らせ、その剣の向こうにある立勇の目を見て言葉を呑み込む。
「この場でその首を刎ねぬのは、単に殿下方のお目汚しをしないためであると心得よ!」
「くうっ」
彼女は悔しさと怯えと、己がこの勝負に負けた絶望とをごちゃまぜにした顔で、今度こそ大人しく兵士に連れていかれた。
雨妹はその後ろ姿を見えなくなるまで見送ってから、ごちゃごちゃといた余計な者たちがいなくなり、スッキリした通路を眺めていると。
「友仁よ」
沈が呼び掛けながらこちらまでやってきたかと思えば、友仁の前に膝をつく。
「色々と画策はしたが、お前たちを危険に晒すつもりはなかった。
その落ち度を謝罪しよう」
膝をつくことを良しとしない崔国人の中でも誇り高い皇族であり、いつものらりくらりと不利を躱していく印象である沈が、本気の謝罪の姿勢を見せたことに雨妹は驚く。
――この人、謝れたんだな。
若干失礼なことを考えた雨妹の一方で。
「ええっと」
沈に謝られてきょとんとしていた友仁だったが、すぐに微かに笑みを浮かべた。
「許します。
それに、ちょっとだけ父上の真似ができたみたいで、楽しかったです」
「そうか」
この友仁の言葉に、今度は沈の方が驚いていた。
――まあ、あの状況で「楽しかった」と言われるとは思わないよね。
雨妹とてびっくりだが、自分と友仁は戦乱を知らない世代で、これまで戦の中での命の危機は、想像するしかできなかった。
それが突然現実になったのが、あの花の宴での東国急襲であったのだ。
ひょっとしてあれから友仁はずっと、戦というものについて考えていたのかもしれない。
「友仁にそう言われては、あの娘や宜の連中は立つ瀬がなかろうよ」
沈はそう言って苦笑を漏らすと、謝罪が済んだので立ち上がる。
この場にはまだ沈が連れてきた兵士が残っており、謝罪のためとはいえいつまでも膝をつかせていては、やはり外聞が良くないだろう。