489話 不可思議な症状
面倒臭い患者というのは得てして、かなり歳を重ねるまで医者にかからず病院に立ち入ったこともない、という人によく見られがちだ。
調子が悪いから病院に来たのだろうに、それまでの人生のほとんどを医療と無縁で過ごしてきたからか、「治療を受けたり、薬を飲んだら負け」のように考えて悪あがきする人すらいる。
――そういう人の相手をするのって、すごく疲れるんだよねぇ。
まずは、こちらも相手に釣られて興奮してしゃべらないように、気持ちを静めて冷静に説得する必要があるのだが、これがまたとてつもなく疲れるのだ。
雨妹はそうした前世での出来事を思い返しつつ、ジャヤンタはこのような怪我を負うまでの人生は、病気知らずで医者知らずだったのか? と考える。
その上、先程の態度を思い返しても、そもそも弱者の立場になったことがない人なのかもしれない。
なにしろ元王太子であるので、そうした生活であっても不思議ではないだろう。
ジャヤンタは軍人であり、軍人は怪我など日常茶飯事であろうと思うが、だからといって一般兵と同じように最前線で戦っていたわけではないだろう。
極端な話、最後方で参謀よろしく座っているのでも、軍属であれば軍人である。
それに沈の話だと、ジャヤンタは「軍人で頭が固いけれど、男気があり容姿が良いので国民から人気があった」とのことだった。
これらの表現を並べられると、一見善良な人物であるように思えるけれど、よくよく考えればこの沈が評した中に「優しさ」を意味する要素がない。
男気の中に優しさが含まれているかもしれないが、どちらかというと「思い切りの良さ」的な表現に聞こえる。
このことを鑑みても、雨妹はジャヤンタの「国民から人気がある」という評価に対して、うがった見方になってしまうのは否めない。
――まあきっと、我が国の太子殿下みたいに、民に対して腰が低く出られる方が稀なんだろうな。
だがそのことを、今考えても仕方がない。
今回は胡霜には堪えてもらって、ジャヤンタに室内を歩いてもらう。
それから雨妹たちが見守る前で、ジャヤンタは胡霜に支えられつつ、数歩ゆっくりと歩いては止まることを繰り返してから、その場にへたり込んでしまい、荒い息を吐いていた。
――やっぱり、こうなるかぁ。
やはり、ジャヤンタには体力がない。
こうして部屋の中を少し歩くだけでも息切れしてしまうので、中庭を歩くなど夢また夢であろう。
身体が弱っている人の手当ての経験といえば、佳で黄利民に降嫁した潘の体力作りをしたことがある。
潘は高貴な身分の女性としての生活の縛りがあり、あまり部屋の外を歩き回ることはよろしくないという環境から、運動のための道具を用意したのだったか。
あちらも無理な減量の影響でかなり体力を失っていたのだが、ジャヤンタはその潘よりも現在体力がない。
しかし体力回復に楽な方法などない。
地道に動ける範囲を日々動かしていくしかないのだ。
「お辛くとも、ほんの数歩でも歩ける距離を歩きましょう。
そうでないと、本当に歩行機能が失われてしまいます」
雨妹が励ましの声をかけるのを、ジャヤンタが忌々しそうに睨んでくる。
『うるさい……なんと情けない』
そしてなにか愚痴っているのだが、睨む気力があるならばまだいい方だろう。
最悪なのは、全てを諦めて無気力になることだ。
けれどここで、体力がないだけではない異変に気付いたのは胡霜だった。
「歩き方がおかしい」
「む、そうなのですか?」
身体の動き方については、雨妹よりも胡霜の方が詳しいのだろう。
思い返せば潘の時も、運動関連は立勇にお任せしていたものだ。
「ひょっとして、足の腱を痛めているのかもしれないね。そんな歩き方だ」
「ふむ、足を痛めていると、寝たきりを悪化させるのでよくないですね」
胡霜の指摘に、雨妹はそう言って「ううむ」と唸る。
手であれ足であれ、腱鞘炎は治り辛い病気である。
何故なら腱鞘炎は日常でよく使う個所が摩耗して炎症を起こすものがほとんどなので、「その筋肉を使うな」と言っても、生活の中で使わざるを得ないことが多いからだ。
けれど一方で、ジャヤンタはこれまで寝たきり生活だったわけで、そんな人が腱鞘炎を患うだろうか?
以前に患ったとしても、寝たきり中に治っていそうなものだ。




