433話 もう一つの目的
雨妹は温泉から上がった友仁の身体を拭い、背中の傷痕に薬を塗っていく。
あの事件から一年になるので状態はかなり回復しており、この薬は痛み止めというより、保湿などの肌の調子を整えるためのものだ。
「友仁殿下、背中の痕がずいぶんきれいになってきましたね」
雨妹は丁寧に薬を塗り広げながら、友仁に話しかける。
「そうなの?
如敏が毎日、陳先生のお薬を塗ってくれるんだ」
友仁が肩越しに雨妹を振り向き、教えてくれた。
――如敏、泣きながら薬を塗っていそうだな。
雨妹は如敏の顔を思い浮かべ、そのように想像する。
友仁の背中の比較的浅い傷痕は、ほとんど気付かないくらいに消えている。
だが文君が執拗に鞭打ったせいで、ところどころ傷が深くなっていた個所があり、恐らくそのあたりは完全に傷痕が消えることはないだろう。
けれども肌の手入れ次第で、目立たなくさせることはできる。
「いずれ、ほとんど目立たなくなるでしょう」
「そっかぁ」
雨妹が告げたことに、友仁はからっとした様子で頷く。
それが強がりなのか、はたまた既に過去の事となっているのか、そのあたりを察することはできない。
それにしても、友仁がこの揚州に来たのは、この温泉があっただけでも、十分にお得な旅となっただろう。
――もしかして揚州行きって、この温泉目当てだったりしたのかなぁ?
雨妹はふと、沈の提案に乗った父の思惑を、そのように想像する。
父は戦乱期には各地へ赴き、争いを治めていたという話だ。
ならばこちら方面にもやって来て、その際にこの温泉について知ったとしても不思議はない。
こんな贅沢なものではなくとも、どこぞの山に温泉が湧いていたかもしれない。
案外子煩悩な父を思い、雨妹はひっそりと笑みを零すのだった。
こうして友仁が温泉を満喫した後。
友仁は雨妹と話した通りに胡安を通じて沈に話をして、この日の大浴場を友仁一行に開放してもらえることとなった。
男女に分かれて使ったのだが、誰もが温泉というものに驚き、贅沢な広さの浴槽にはしゃいでいた。
――そうでしょう、温泉っていいものでしょう!
もちろん雨妹も温泉を満喫させてもらったのだが、みんなの反応を見て大変満足である。
癒しの時間を過ごした後、友仁は引き続き沈のお仕事見学をして過ごす。
その間に友仁に付き添うのは胡安の役目であり、雨妹はその間暇になる……というわけでもなく。
この邸宅で雨妹が頻繁に出入りする場所は、台所であった。
――佳でも台所に入り浸っていた気がするけれど、お屋敷の料理長、元気かなぁ?
雨妹は佳の利民の屋敷での出来事を思い出しつつ台所へと向かい、その背後にはお約束の立勇の姿がある。
「どうも、雨妹です」
雨妹が名乗りながら台所の中を覗くと、数人いた料理人たちが一斉にこちらを振り向く。
「おう、どうだ?」
その料理人たちの中央にいた、浅黒い肌の初老の男が声をあげた。
彼はこの台所を仕切っている料理長のボルカという男で、リフィと同じ丹国人だという。
この邸宅が丹国所有である頃から、この台所にいる人なのだそうだ。
――つまり、影の邸宅の主ってわけだよ。
そのボルカに、友仁の食事の様子について報告するというのが、雨妹の仕事の一つなのだ。
というのも、友仁が食物過敏症であることを、非常に気にしていたのだ。
というよりも、ボルカはこの症状に崔国人よりも理解があった。
丹国は乳製品が崔国よりもよく飲まれるお国柄らしく、乳製品も卵と同じく過敏症になる割合が高いものである。




