431話 すごいしか言えない
雨妹は前世日本人として、温泉を愛でずにはいられない。
「温泉、温泉がありますよ、すごいですよ立勇様!」
「わかった、落ち着け、私を揺らすな」
雨妹がすぐ傍にいた立勇をガクガクと揺さぶるのに、揺さぶられる立勇が迷惑そうにしている。
それでも雨妹は気分が高揚するのを止められないでいた。
「温泉ですよ、すごいよ温泉、温泉すごい!」
雨妹は興奮から、もう言葉が「温泉」と「すごい」しか出て来なくなっている。
そんな雨妹の興奮に釣られているのか、友仁までも「すごい」と言い始めた。
「見たことないくらい、広いね! すごい!」
友仁がまず驚いたのは、浴槽の広さであるらしい。
この沐浴場の広さは、前世の温泉旅館の大浴場――それもかなり広めの規模のものと同等程度だった。
雨妹たちが後宮で普段使う集団沐浴場も、それなりの広さがあるものの、あちらの浴槽では人が増えると芋洗い状態で使わなければならない。
けれどこちらでは同じ人数が使っても、手足を伸ばして悠々と入れるだろう。
――なるほど、これは準備に時間がかかるわ。
お湯を溜める時間もそうだが、温泉の温度を温めたり冷ましたりと調節するのも、ボイラーや水道の蛇口なんていう便利なものがあるわけもなく、全て人力なのだから。
「ふふ、そこまで喜んでいただけると、準備した甲斐があります」
興奮している雨妹たちの様子に、リフィが嬉しそうにしている。
「温泉ということは、どこかに火山があるんですかっ?」
もうワクワクが止まらない雨妹は、好奇心のままにリフィに尋ねた。
「「火山?」」
雨妹のこの質問に、友仁と立勇は疑問顔だが、リフィは「よくご存じで」と驚く。
「丹国にまで連なる火山が、隣国にあります。
ここに湧く湯は、その火山の恩恵によるものです」
「なるほど~!」
やはり火山のある場所に温泉が湧くようで、そこは前世と同じ仕組みであるようだ。
しかしその火山から距離があるので、そうなると温泉の熱さそれほどでもないのだろうか?
それとも温泉卵を作るには十分なのだろうか?
もしくは、新しい温泉料理があったりするかもしれない。
気になることが多すぎる雨妹の一方で。
「近寄ってもいい?」
友仁がリフィを見上げてそう尋ねる。
「どうぞ、お湯に触れてみてください」
これにリフィが頷いたので、友仁は早足で浴槽へ近付くのを、雨妹と立勇も追いかけた。
「ふわぁ、あったかい!」
温泉を手で掬った友仁が、目をキラキラとさせている。
「この広さはきっと、大勢で浴槽に浸かることを前提としているのはもちろん、広さで贅沢さを表しているのでしょうね」
雨妹はその傍らにしゃがみながら、自身の見解を語る。
「確かに、これは贅沢だ」
背後にいる立勇がそう零す。
彼もこの沐浴場には驚いているようだ。
「どれどれ」
雨妹もお湯を掬ってみる。
手触りからすると、刺激の強い泉質ではなさそうだ。
少しとろみのある湯であり、ひょっとして美肌に効果がある系の湯なのかもしれない。
――傷痕に効くようなお湯だといいなぁ。
雨妹はふとそう思う。
今はこうして元気にしている友仁だが、その背中には恐らく一生背負うことになるであろう、鞭の痕がある。
文君が己の苛立ちを逆らえない子供にぶつけたことを、雨妹は恐ろしいと改めて思うと同時に、文君自身も弱い人だったのだろう、とも考えてしまう。
文君も実家から「お前が妃となるべきなのだ」と圧力をかけられ、その心労のはけ口を友仁しか見つけられなかったのだ。
それに友仁に鞭打つことをためらわなかったところから想像するに、文君の家で鞭打つ行為は珍しいものではなかったのかもしれない。




