426話 喧嘩再発、からの
「天元! 逃げるにしても、もっと上手くやれたはずだろう! 何故友仁殿下を危険に晒すような真似をした!?」
怒鳴る林の剣幕に、だが沈はうるさそうにするばかりだ。
「陛下気に入りの近衛を寄越しておいて、危険などあるまいよ。
それよりも、現実をその目で見た方が良いだろうに」
沈は手のひらをヒラヒラとさせて受け流すようにする。
――沈殿下って、明様のことをかなり高く評価しているんだなぁ。
それだけ明が皇帝のお付きとして、あの父からの数々の無茶ぶりをこなしてきているということなのだろうか?
雨妹はここ一年未満の明の姿しか知らないので、そのあたりは想像がつかないところだ。
けれどこの態度に、林の怒りがまたせり上がってきているようで、再び怒鳴るために口を開こうとした。
「お二方、喧嘩は後で存分になさい。
今はその時間ではありませんよ」
絶妙な間でそれにリフィが割って入る。
「「……」」
ぴしゃりと言ってのけたリフィに、二人は沈黙した。
この三人の調整役は、やはりリフィなのだろう。
――この沈殿下って、たぶん宇くんタイプの性格だわ。
雨妹はこの沈の態度を見ていて、最近知り合った少年の事を思い出す。
表面の態度ばかりを見ていては、腹の底でなにを考えているのかわからなくなるのだ。
雨妹は宇を思い出したところで、今頃佳で海鮮三昧しているであろう静にも思いを馳せ、思わず呟く。
「静静、海老に驚いていないかなぁ?」
「こら、現実逃避はやめろ」
すると立勇からすかさず突っ込まれてしまった。
その後微妙な空気になってしまった中、リフィが「お茶が冷めてしまったのではないかしら?」と言うと、強引にこの場の雰囲気を変えてきた。
――リフィさんって、なかなか力業な人だなぁ。
気を配って相手の心を動かすよりも、形から整えて気を変えさせようとする質なのだろう。
どちらが正解というものではないけれど、こちらの方が沈には合ったやり方かもしれない。
「とまあ、さんざん脅してしまったが」
リフィが皆のお茶を淹れ直すと、彼女の仕切り直しに乗っかるように沈が口を開く。
「友仁はここで過ごすにあたり、そう怖がる必要はない。
普通に買い物をしたり会話をする分には、気の良い連中が多いのだから」
そう話す一方で、注意事項も忘れず告げる。
「ただ、貸し借りは慎重にしなければならぬ、というだけだ。
貸しを作り恩を売ろうとする場合であっても、もしそれをしくじってしまったとしたら、子孫まで『駄目人間』の烙印を押されるからな」
「はぁ」
言われた友仁は「貸し借り」というあたりのことがよくわかっていないようで、首を傾げている。
だがこれは胡安がわかっているので、きっと後でわかりやすく教えるだろう。
などと雨妹が他人の心配をしていると。
「つまり雨妹、お前がここで食べ過ぎて腹を壊せば、子々孫々で『あの食い意地の張った娘の子』と言われ続けるのだな」
「うぐっ」
立勇に言われ、雨妹は思わずうめき声を上げる。
このように釘を刺してきたのは、雨妹が佳で牡蠣を爆食いした過去故だろうか?
「……適量を心掛けます」
「そうしてくれ」
絞り出すように告げた雨妹に、立勇が重々しく頷く。
「まあ」
雨妹と立勇のやり取りを見ていたリフィが、小さく笑ってから、微かに息を吐いた。
――おや?
そのリフィの息を吐いた様子がなんとなく気になり、雨妹は目を瞬かせる。
「確かに、なんでも美味いから食べ過ぎには気を付けることだな」
一方で、沈が雨妹をからかうように言ってから、「それと」と付け加える。
「無頼の輩も流れてくるから、そちらは身の危険があるので注意だな」
危険と聞いて、友仁の顔色が悪くなる。
「危ないのですか?」
友仁の声が少し震えてしまったのは、花の宴での事件のことを思い出したからかもしれない。
あの時友仁がどの辺りにいたのか雨妹は知らないが、どこにいても危険がすぐ近くにあったことだろう。
あれこそ、友仁が今までの人生で直面した最大の危険に違いない。
「いやいや、東国の連中程に危ないわけではないぞ?
すまん、言い方が悪かったか」
友仁を不安にさせてしまったことに気付き、沈が懸命に言い繕うのだった。




