415話 悩める胡安
「元々は文官であるお前さんが、側仕えとして未熟であるのは仕方のないことだろう」
明がそう言って胡安の肩をポンと叩く。
「皇子に仕えることは難しい。
手や口を出し過ぎては自立心が抜け落ちて育ち、出さな過ぎては皇子としての自尊心が正しく育たず損なわれる。
突如抜擢されたお前さんが、最初から上手くできないのは当然だ」
明はそう言って、立勇に視線を向ける。
「お前だって、苦労しているだろう?」
「それは……」
急に話を振られた立勇は、少し迷うそぶりを見せ、慎重に口を開いた。
「私は明賢様が友仁殿下よりも幼い年頃から、供をしてまいりました。
そのように長く時間を共有していた私であっても、主との付き合い方には迷うものです」
そう述べて苦悩の表情を見せる立勇だが、そんな彼に雨妹はつい先だっての何家姉弟の件において、太子に秘密を抱かせてしまったわけだ。
雨妹としても心労を増やしてしまい申し訳なかったと、謝りたくなる。
「おう、じゃあそんな迷える側近の先輩として、なにかちょいとした助言を与えてやれ!」
そう告げてくる明から肩を小突かれ、立勇は困った顔になる。
――その側近の経験がさらに上な先輩の前で誰かに助言をするって、なかなかに無茶ぶりだよね。
明こそ途中に休職期間があれど、戦乱の頃から皇帝に仕えているのだから、彼の方がもっと適切な言葉が出るだろうに。
これも明の先輩としての愛の鞭か、はたまた面白がっているだけなのか?
明が若干ニヤニヤしている気もするので、面白がっている方が有力かもしれない。
それはとにかくとして、立勇は何事か話す気になったようだ。
「側近として、仕える者であれその主であれ、互いに困った時に沈黙するのは構いませんが、嘘を言ってはいけません」
「嘘……?」
立勇の答えに、胡安が戸惑うように首を傾げた。
「嘘は裏切りにつながり、互いの心に傷を残します。
互いの心を裏切らないことは、主従共に心掛けるものです。
それに主が沈黙すれば、己がどうあるべきか考えるのが、側近の役目ですので」
立勇らしい実直な意見に、雨妹はなんだか嬉しくなって頬が上がる。
――うんうん、立派な側仕えの心得だと思いますよ!
雨妹が内心で声援を送っていると、立勇が嫌そうにしかめ面をしてこちらを見た。
「その、子どもを見守る老婆のような目をやめないか」
「違います、これは若者の純粋な褒めの目です!」
立勇の指摘に、雨妹は噛みつくように反論する。
そんな雨妹と立勇のやり取りを、目を白黒させて眺める胡安の背中を、明がバシン! と強めに叩いた。
「うわっ!」
その反動で、胡安がよろめく。
「まあ、あれだ、悩みは早めに吐き出すこったな。
少なくともコイツらと話していると、悩みが馬鹿らしく感じるだろうよ」
明がそう話して手をヒラヒラとさせることで、この場は解散の流れとなった。
「では、失礼いたします」
雨妹は明と胡安に礼の姿勢をとると、立勇に伴われて自室へと戻っていく。
「騙し騙されの嘘が宮城の常であったが。
それとは真逆とは、確かに難しい」
そして室内へ戻る胡安のそんな呟きを、雨妹の耳が拾うのだった。
それにしても明の言葉は、雨妹には意外なほどに皇族について思慮深いもので、やはりあの父の側近なのだと思わされるものだった。
――明様は父にとって、今の太子にとっての立勇様みたいな立場だったのかな?
雨妹はふとそのように思う。
軍人関係で皇帝の腹心というと、李将軍もいる。
だがあちらは軍隊のまとめ役としての立場で、父はその李将軍とは別の心理的な安心感を、明に求めたのかもしれない。
それ故に雨妹の母――己が愛した大事な女を預けるに至ったということか。
明が休職をして飲んだくれとして堕ちていたとしても、それでもなお父には得難い人だったから、縁を切らずにいたのだろう。
雨妹は今の明の姿に、そんな風に推測してしまう。
同時に気になるのは、今回語られた沈の身の上話についてである。
これは前情報として与えてもらっていてもよさそうなものなのに、雨妹どころか、友仁も初耳であったようだ。
――最初から沈殿下への先入観を持たせないため、とか?
今回の旅は、なかなか複雑な裏があるらしい。
雨妹は油断しないようにと、気持ちを引き締めるのだった。




