411話 根に持つ質なのです
こうして、この場に残されたのは雨妹たちと、宿の者たちだけとなった。
そして宿の者たちは、不味いとばかりに身を震わせている。
「殿下方に、宿替えを勧める必要がありそうだが、申し開きはあるか?」
立勇が剣を鞘に納めつつ、厳しい視線を宿の者たちに向ける。
「それは、ええと、その」
一番年嵩の男が、しどろもどろになりながらも、上手い言い訳が口から出てこない。
「やれやれ」
そこへ沈がため息を吐き、ちらりと宿の者たちを見やる。
この沈の様子を、宿の者たちは「助けてもらえる」と感じたのか、表情を明るくしたのだが。
「お前たちにはもう少し分別があると思っていたが、思い違いであったらしい」
告げられた存外冷たい声音に、彼らの表情が凍り付く。
「騒々しさこそ、この揚州の活力。我とてこれを厭うものではない。
だが、今は大事な預かりものがあると、そう重々伝えておいたはずだが?」
「はい、それはまことに……」
ジロリと沈に睨まれ、彼らは言い訳をしようとする口以外、指先すらも動かすことができない。
「その我の言葉は、どうやら羽根よりも軽いものだったらしい……舐められたものだな。
もう次はない、更地にして売り払うとする」
そう言い放った沈は、自室へと戻るべく足早に去っていく。
「沈殿下、どうかお待ちを……!」
その後を年嵩の男が追いかけ、他は彫像のように立ち尽くすしかできない。
しかし雨妹は見てしまった。
去り際に沈の口の端が、笑みを浮かべるように上がっていたのを。
「あの、今のって、私が巻き込まれる必要ありました?」
ここまでの展開にいまいち釈然としない気持ちを抱く雨妹は、しかめっ面になる。
「私にも思うところはあるが……明様ならば、なにか的確な意見があるやもしれぬ」
立勇がそう言うので、話は一旦飲み込むことにした。
――けれど、「貧相」って二回も言われたの、忘れないからね!
自分で言うのはいいけれど、他人に言われるのは腹が立つ。
そして意外に根に持つ雨妹なのだった。
もうこの場に残る意味はないと、雨妹たちは一旦明へ報告に戻ることにした。
戻った雨妹を待ち受けていたのは、明や胡安と共に待っていた友仁のわくわく顔である。
友仁の部屋の前には他の護衛を立たせ、立勇は明と共に部屋の中に招き入れられた。
「ねえねえ、どんなことだった?」
早く話を聞きたいらしい友仁のその愛らしさが、雨妹のささくれ立った気分を癒してくれる。
そんな友仁の目の前で、立勇が明へ報告した。
「侵入者でした。
相手は女で、この宿に口利きができる元大公家の末端だということでした……呂からの情報です」
立勇の報告内容に、明が「ふむ」と顎を撫でる。
「ならば確かな話だな」
雨妹の荷馬車仲間である呂は、明からもそこそこ信頼を持たれているようだ。
「殿下、私はその方に貧相だと言われてしまいまして、腹が立っているところです」
雨妹が肩を落としつつ、友仁相手に愚痴る。
立勇が「子ども相手になにを言っているのか」という目を向けてくるが、雨妹は誰かにこの気持ちを知ってほしかったのだ。
「なぁにそれ!」
すると、驚いた友仁が頬を膨らませた。
「雨妹は貧相なんかじゃない、素敵な女性だよ!
そんな無礼なことを言う人は、私がうーんと叱ってあげる!」
「ああぁ、お優しい殿下……!」
友仁が本気で怒ってくれるのが、雨妹はとても嬉しい。
「あちらこそ、悪口の語彙が貧相ですね。
宮城では生き残れないでしょう」
胡安が別の角度から指摘してくるのは、これも慰めの一種だと捉えておこう。
雨妹はなんでも前向きに考える質なのだ。




