400話 食事の礼儀はそれぞれです
やがて沈の部屋の前までやってきた雨妹であるが、ここで事前に告げるべきことを思い出す。
「友仁殿下、お料理を口に入れて少しでも違和感を覚えたならば、即座に吐き出してくださいませ」
注意を促された友仁は、しかし表情に不安が覗かせる。
「……そんなことをして、いいのかな?」
これに雨妹は重ねて語る。
「友仁殿下がこの場で発症して倒れる方が、よほど大事であるし、失礼になることでしょう。
私も気を付けますが、最終的に食べられるかどうかの判断は、友仁殿下が下すしかないのです」
雨妹は医官助手としての意見を述べた後、ちらりと胡安に視線をやった。
するとその視線を受けて、即座に胡安が友仁のまえに屈み、目を合わせる。
「私が空き皿を持ち、背後に控えておりますので、ご安心くださいませ。
なにかあれば即座に後ろを向いてくだされば、後は私がなんとかします」
胡安がそう言って、友仁の肩を軽く撫でる。
「私も、医官助手殿もついておりますれば、友仁殿下はゆったりと構えて、ただ夕食を美味しく楽しめばよいのです」
「そうですよ、せっかくのお食事ですもの、楽しまなければ損です!」
励ます言葉をかける胡安に続き、雨妹も両手をぐっと握って力説するのに、友仁がふふっと笑みを漏らす。
「わかった、ありがとう二人とも」
礼を述べた友仁が微笑んだのを見て、雨妹もホッと息を吐く。
――今のでよかったのかな?
雨妹がつい友仁を甘やかしたくなる己を律し、言い過ぎと手をかけ過ぎを回避した行いはどうだっただろうかと、ちらりと隣の立勇に目をやる。
すると立勇も微かに頷いてくれたので、きっと「それでよし!」ということなのだろう。
立勇に褒められたことで、雨妹も多少緊張していた気分が浮上する。
「まるで暴れ馬と、その騎手みたいだな」
ずっと黙って見守る態勢だった明がなにやら失礼なことを言った気がするが、そういうことはまるっと無視だ。
こうしてようやく、雨妹たちは沈の部屋へと入っていく。
「よく来たな」
中では、部屋の主が待ちかねるようにしていた。
「叔父上、お招きありがとうございます」
笑顔で招き入れてくれた沈に、友仁が一同を代表するように丁寧な礼をする。
「堅苦しい挨拶はもうよい、さあ早く座れ」
そう告げた沈の傍仕えに案内された雨妹の席は、友仁の隣だ。
通常の身分で割り振られる席次では、あり得ない配置だろう。
友仁の背後に胡安が控え、そのさらに後ろの壁際に明と立勇が立っているという構図である。
――私の席は、友仁殿下の体質への配慮かな?
沈は雨妹の同行の意味や、過去に友仁が被った被害などを把握しているということだろう。
情報を集めたうえで細やかな配慮ができることは、さすが皇帝に頼られる皇族であるといえよう。
「では料理を運んでくれ」
沈が、己の傍仕えにそう命じると、美味しそうな出来立ての料理が運ばれてきた。
「わぁ!」
湯気が立つ温かそうな料理の数々に、友仁が目を見張っている。
後宮では毒見の過程を経ることもあり、出来立ての料理というものを見る機会が、そうそうないのだろう。
「友仁、出来立て熱々の料理を見たことがあるか?
後宮育ちにとって、これぞ贅沢の極みというものだろう」
そんな友仁の様子に、沈がニヤリとした笑みを浮かべて、得意そうに話す。
「普段口にする温かいものは、温め直してもらった饅頭くらいです」
沈の言葉に素直に答える友仁が物珍しそうに料理を眺めていると、沈が背後に手招きして、そちらから男が一人進み出てきた。
「我一人ならば毒見など不要だと断じるところだが、友仁がいればそうはいかぬ。
ほれ、料理が冷める前にとっととせぬか」
どうやらその男は毒見役であるらしく、沈に急かされている。
しかし、あからさまにできたてホヤホヤ、火傷注意っぽい料理があるのだが。
――アレを急いで食べさせるのはどうかなぁ?
雨妹がちょっとだけ心配していると。
「沈様、出来立ての料理は熱いのですが」
「そんなことは辛抱して、さっさとやれ」
毒見役も同じ心配を抱いたようだが、沈はそれを気にすることなく、ひらひらと手を振る。
――この人の部下をするのも、大変そうだな。
改めてそう感じる雨妹なのだった。




