386話 救急箱デラックス
「雨妹、お前はこちらの荷車の集団にいるように。
荷物もここに積んでいい」
立勇に促されて、雨妹は背負っていた包みを荷車の端に載せるが、木箱の方は手放さない。
「それは、薬箱か?」
「そうです、今回も陳先生に協力していただきました!」
その手元の木箱へ立勇の視線が向いたので、雨妹はそれを目の前に掲げて見せた。
なにしろ今の雨妹は医局の臨時助手なので、陳も中身の融通が堂々とできる。
なので、救急箱の中はかなり充実した品揃えとなっており、大きさもかなり大きめである。
「友仁殿下の体調管理の薬が、一番多いですね。
他も、陳先生から注意書き付きで色々用意されていますので、もしもの際にはお声がけください。
あ、万が一のための縫い針と縫い糸も、ちゃんとありますので!」
「いや、そんな心臓に悪い万が一は要らない」
雨妹は笑顔で説明するが、最後の一言に立勇が即答してきた。
どうやら、雨妹にこの針と糸を持たせる姿を想像するのが、相当怖いらしい。
――まあ、何事もないのが一番だよね。
雨妹としても、ぜひにこの針と糸を使いたいわけではない、と内心で考えていると。
「まあ、それはいいとして。おい!」
立勇がなにかを仕切り直すように咳ばらいをしてから、横手に向かって手招きをする。
「へいよ」
するとそちらから、誰かが近付いてきた。
「お前と一緒に行動することになる、まあ、雑用係みたいな男だ」
このように立勇がなんだか雑な紹介してきたのは、ヒョロリと痩せた男だ。
薄い髭面で、格好も表情もくたびれた様子で、腕っぷしが強そうには見えないが頭脳労働にも見えず、雑用係という名目が妙に似合っている。
「あっしは呂ってんだ、よろしく小妹」
紹介された男は、口の端を微かに上げて雨妹に挨拶してきた。
「はい、こちらこそ、よろしくお願いします」
そんな男、呂に雨妹は挨拶を返すものの、内心で首を傾げる。
――あれ、なんかこの声、聞き覚えあるぞ?
ごく稀に声を聞くことがある、あの護衛の人の中に、こんな声の主がいなかっただろうか?
この百花宮で雨妹が聞くことができる男の声というのは、人数が限られているので、声の印象というのを案外覚えているのだ。
しかも相手は雨妹のことを「小妹」と呼びかけてきた。
これは「お前を見知っているぞ」と暗に言っているのだろう。
――本当に、護衛の人かなぁ?
けれどそれならそれで、別段雨妹が困ることはない。
むしろ道中の話し相手ができたと思うことにしよう。
「呂さんは麻花を好きですか?
仲良しの台所番が、おやつにって作ってくれたんです!」
雨妹が手っ取り早い話題を振ってみると、呂はニカリと笑みを浮かべる。
「そうですかい、そりゃあ親切な御仁だ。
あっしも甘いものは好きですぜ」
「甘いものって、食べると幸せになりますもんね!」
呂の返答に、雨妹も気分が上がってきたところで、立勇が口を挟んできた。
「ところで雨妹、道中で病人を見つけたならば、まずは報告するように。
くれぐれも、一人で突っ走るな。
今回は皇子方の公式な移動だ」
「う、はい……」
立勇にグサリと釘を刺され、雨妹は了承の返事をしつつも、視線を俯けてしまう。
――だって病人見つけたら、放っておけないじゃんか……。
これはもう、前世から己に刻まれた性質なのだ。
けれど皇子方の足を止めるのは不敬だ、ということもわかっている。
不満を飲み込んで微かに頬を膨らませている雨妹を見て、立勇がため息を吐く。
「私もお前の性分は分かっているし、病人を見ても無視をしろというのではない。
勝手でなく、一言断ればいいのだ。
そういう場合には、私に言いに来い」
立勇の言葉に、雨妹はガバリと顔を上げる。
「はい、そうします!」
雨妹は立勇に返事をしつつ、気分を再浮上させた。
「癪に障るのは、そういうところなんだと思うがねぇ」
呂がなにやらボヤいている声は、雨妹にはよく聞こえない。
こうしていると、やがて沈と友仁の一行は出発したのだった。




