376話 外れた思惑
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雨妹たちがコリィを囲んで談笑していた、ちょうどその頃。
宮城の大広間では、志偉と面会する大偉が跪いた姿勢で、大いに不機嫌そうにしていた。
「皇帝陛下、話が違います」
皇帝へ面と向かい不機嫌を露わに意見する大偉に、密かに見守っているであろう大偉の従者は、きっと肝を冷やしていることであろう。
志偉は想像して、多少はあの従者に同情しなくもない。
大偉がこうまでも不機嫌であるには、当然訳がある。
宮城は花の宴の後、東国兵の侵入を許したことを公表した。
こうした場合、他国にちょっかいを出される隙があったと、認めるのを避ける場合もある。
だが志偉は汚点を公表することで、皇太后という別の汚点を排除する方を選んだ。
皇太后の身柄は現在刑部預かりだが、近いうちに代々の皇后が入った尼寺へと移送されるだろう。
一方で皇后だが、こちらは罪に問うほどのなにかはない。
というより、皇太后の操り人形でしかないので、自ら罪を犯すような行動力がないのだ。
なので、こちらはこのまま後宮に据え置くこととなった。
がしかし、これは決して皇后への温情ではない。
皇后がいなくなれば、当然周囲から「新たな皇后を」という声が上がるだろう。
そして次の皇后として選ばれる女が、よりまともである保証がどこにあるだろうか? あの皇太后とてかつては、周囲からよかれと思って先帝の皇后にと選ばれたのだから。
それならば、己が退位するまで現皇后を飼い慣らして大人しくさせておく方が、ずっと気楽というものだ。
皇太后がいなくなった皇后に、できることなどほとんどないのだから。
だがそうなると、微妙な立場となるのがこの大偉である。
これまでさんざん皇太后の周辺と軍部から、「皇帝となるに相応しい」と推されていたというのに、突然罪人一族の皇子となってしまったのだから。
しかし大偉が不機嫌をあからさまにして不満を表しているのは、そこではない。
花の宴の騒動が露呈し、外城の街や周辺の里々で不安が湧き上がっていたところに、宮城から発表があった。
「苑州を治める能力を失した挙句、東国に下った何家を、大公一族として認めない」
つまりは、何家が大公一族の地位をはく奪されるという知らせに、誰もが驚く。
がしかし、発表はこれだけではなかった。
「苑州大公として、大偉皇子を任ずる」
なんと、皇后の唯一の皇子が苑州大公になるというのだ。
しかも苑州に蔓延っていた東国兵を追い出すのに大偉が一役買い、軍を率いての出兵にまでならないのではないか、との見立てまで流れている。
大偉の軍事面での強さは、他ならぬ皇太后が大いに言いふらしていたことにより、庶民にも周知の事実であった。
「そんな強い皇子が国境を守るのであれば、この国も安泰だ」
そんな歓迎する声が、民のほとんどのものである。
その上今後、何家の若き元大公とその姉は大偉預かりとなり、別段苑州から追放になるわけではないという。
むしろ大偉は、幼い身で大公へ担ぎ上げられた子どもを救った恩人であり、苑州から宇に付き添ってきたお付きの娘は、何家への温情であると感謝すら述べた。
だが唯一、この決定に不満があるのが、当の本人の大偉である。
「私についてなにがしかの罪をでっちあげ、皇籍を削除し、追放処分にしてくれるというお約束であったはずです」
そう、苑州行きとなる前に大偉が志偉の寝所に乗り込んでまで訴えたのは、簡単に言うと「もう皇子でいるのが嫌になった」ということであった。
大偉の言葉に、しかし志偉は眉すら動かさない。
「現状、似たようなものではないか。
これとて皇籍から外れることには違いないし、滅多なことでは都に戻って来られぬ場所であるぞ?」
志偉はつまらなそうな顔で、そう返してやる。
今回の決定で大偉は皇子ではなくなったので、志偉としてはこれで文句を言われる筋合いではない。
「首輪付きの自由とは、自由ではありませぬ」
けれども大偉はしつこく不満を口にした。
「ふん、首輪の鍵くらい、己でなんとかせぬか。
そもそも自由なんぞというもの、この朕こそが欲しいわ。
それを何故他人にくれてやらねばならぬのか?
お前は朕が早う隠居できるように、精々働くがいい」
だがこちらも大いに不満を述べてから、「これで仕舞いだ」とばかりにひらひらと手を振る志偉を、大偉は恨めしそうに見上げてくる。
「それとも、己の代わりに働いてくれるような、有能な誰かを見つけて囲うことだ。
まあそのような人材は、そうそうそこいらに落ちているものではないがな。
もし簡単に落ちていれば、朕とてこのような座り心地の悪い椅子になんぞ、大人しく座っておらぬわ」
結果、この志偉の心の底からの正直な悪態に、大偉はなにも言い返せぬまま、この面会は終わったのだった。




