375話 衝撃がハンパない
――元ヤクザのボスとか!
雨妹は驚きで妙に喉が渇いてきた。
宇はわくわくした顔でじぃーっと見つめてくる。
雨妹からの答えを大いに期待している顔は、静に似た容姿であるので実に愛らしい。
けどこの愛らしい子どもの中身はヤクザの組長というのだから、いくら雨妹でも現実を飲み込むのが難しい。
やがて宇の目力に負けた雨妹は、詰めていた息を「はぁ」と大きく吐く。
「私は看護師。
定年まで勤めたし、定年後は華流ドラマ三昧で、孫までできての大往生だったよ」
「そっかぁ!
僕ね、看護師さんだけは逆らわないようにしていたんだぁ。
だってお医者さんよりも、看護師さんに嫌われた方が困ること多いもんね!
けどいいなぁ、孫かぁ。
僕は組長でも直系じゃあなかったから、跡目争いにならないように結婚をしないで子どももいなかったんだよね」
今度は宇の方が「ほぅ」と息を吐くが、もう組長を誤魔化さなくなったのは早すぎないだろうか?
「それに不満はなかったよ?
けどうんと長生きして、最後に逝くっていう時に見送ってくれたのは、見事におっさんばっかり!
せめてこんな時くらい、可愛い娘に手を握ってほしかったってぶーたれたの。
そうしたら、こっちで可愛い娘と一緒に生まれたんだから、これって運命だよねっ!?」
「……なるほど」
宇からの情報過多気味の話で脳が溺れそうになっていたが、同時に色々と腑に落ちた瞬間でもあった。
ダジャの性格矯正をずいぶん力業でやったな、ということとか。
静を好きすぎる弟であることとか。
理由となっている宇の根源がわかれば、なにも難しい話ではない。
雨妹と同じように、宇はただ己がやりたいようにやっているだけなのだろう。
それにしても、宇のような前世の経歴を持つ人物が何家の血筋に生まれ落ちるとは、この世界もなかなか面白い巡り合わせをしてくれるものだ。
宇くらいに図太い中身であれば、東国と渡り合いつつ助けを呼ぶことを可能にする精神力を持っていただろう。
妙な話、適材適所というわけだ。
このように大いに納得していた雨妹であったが。
「雨妹お姉さんは、女帝になりたいの?」
「は!?」
宇が唐突にギョッとすることを言ってきたので、雨妹は大きな声を出しそうになったのをぐっと飲み込みつつ、思わず二歩ほど後ずさる。
「だって青い目だし……ねぇ?」
宇の色々含みを持たせた最後の「ねぇ?」が、妙に怖い。
これに雨妹はブルブルと顔を横に振る。
「冗談でしょう!?
私はリアルな華流ドラマを満喫しつつ、美味しい物を探求する人生を送るんだから!」
雨妹は怖い顔を作り、「冗談でもそんな話をするな」と暗に言い聞かせる。
「そっかぁ」
雨妹の答えに、宇がにぱりと笑う。
「僕の今世の生きがいはね、静静をうんと可愛い女の子に育てることなの。
雨妹お姉さん、静静をもっと可愛くしてくれて、本当にありがとうね。
これだけでも、静静を都まで旅をさせた甲斐があったかな!」
このように言いたいことを言ってしまった宇は、早足で前を歩く静と並びに行った。
「雨妹と、なにを話しに行ったの?」
「へへへ、静静の可愛い所を聞きに行った!」
「また、そういう事を言って誤魔化すんだから。
まあ、宇だし」
静は宇と雨妹の会話のことを尋ねているが、宇が堂々と誤魔化したことで、いっそ興味が無くなったようだ。
静は宇の奇行に慣れているというか、扱い方を良く知っていると見える。
一方で、大いに気にしている様子なのが立勇であった。
「奇妙な話をしていたな」
歩みを緩めて隣に並んだ立勇にそう言われて、雨妹は「ははは」と力無い笑みを零すしかできない。
「所々聞き慣れない言葉があったようだが、例の昔に知り合った旅人の話か?」
立勇が、雨妹が誤魔化したい時のお約束を口にする。
こうして逃げ道を作ってくれる所が、立勇の優しさだろう。
「……宇くんも、ずいぶん個性的な旅人の知り合いがいたみたいですね。
ぜひに、あの子を敵にしないことをお勧めします」
雨妹が誤魔化した代わりにそう助言を述べると、立勇は「そうか」と頷き、前方で静にじゃれつく宇に目をやる。
――いつか前世のことを、この人に話せるかなぁ?
なにも聞かないでくれる立勇に、ふと雨妹はそう思う。
それから雨妹たちはしばし二人で黙って歩いていたのだが、香辛料の香りが強くなったところで、「そうだ」と立勇が思い出したように声を上げた。
「ダジャルファード殿は作ったコリィを、小鍋に分けてくれるそうだぞ?
お前のことだ、例の台所番に持って帰りたいのだろう」
「……! 嬉しいです!」
立勇の言葉に、雨妹はコリィを食べて驚く美娜の顔を想像すると、自然と頬が上がる。
その後、ダジャ手作りのコリィを食べた雨妹が感激のあまり大泣きしてしまい、「泣くほど食べたかったのか?」と若干どころではなく引かれてしまったのは、まあ想像通りかもしれない。




