372話 皇太后
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花の宴の夜は、例年であれば夜もまた宴が続いていたことだろう。
しかし今年の宴は当然中止となり、外から来た皇族たちは滞在する宮に押し込められることとなった。
そして皇帝・志偉はというと、刑部の一室にいた。
ここは刑部の奥にある、貴人を収監するための部屋だ。
現在この部屋の住人となっているのは、皇太后その人である。
皇太后の住まいである皇太后宮に東国人が潜伏していたことが確認されたため、皇太后が罪に問われるのは必然であろう。
ちなみにその皇太后宮は大半が無残に焼け落ちてしまい、建物への引火をなんとか防げた他の宮とは、被害が段違いとなっていた。
無事であるのは、宮城との狭間の宮のみである。
恐らくはこの狭間の宮を、東国人たちの脱出口として確保したからであろう。
――だが、もしそこが焼けていたならば……。
雨妹が連れ去られていた場所であり、志偉は万が一あの娘が火事に巻かれてしまっていたなら、という場面を想像してゾッとする。
そして事態をここに至らせた元凶を、到底許せるはずがない。
その元凶である皇太后は、今座っている椅子がまるで玉座であるかのように、堂々とした態度で志偉を迎えた。
「皇太后、『女帝遊び』はそろそろ仕舞いである」
皇太后に、志偉は冷めた目で告げる。
「……母に向かい、その口の利き方はなんだ?」
これに、皇太后が不機嫌な声音を返してくる。
だがこの意見に、志偉は笑いが込み上げてしまう。
「母という言葉の意味を知って言っておるのか?
それならばきっと、朕の知る母とは、きっと違う言葉なのだろうよ」
志偉の言葉に、皇太后は眉をぴくりと動かす。
「百花宮の中だけでお仲間と遊ぶのみであれば、どうせ老い先短い身だとして放置していた。
けれど愚かにも東国という敵を引き込んだ今、お前は皇太后などではない、単なる罪人だ」
これに、皇太后は驚いたように目を見張る。
「なんと恐ろしいことを申すのか、わたくしがさようなことをしたと?
わたくしは関係ない、誰ぞが勝手にやったのだろうよ。
これも、皆がわたくしを愛するが故のこと。
お前は、わたくしが愛されることが悪いと申すのか?」
皇太后が微かな笑みすら浮かべ、志偉へ反論する。
この皇太后に、志偉は何度も煮え湯を飲まされたものだ。
愛する女を陥れられたことや、戦乱からの復興のために後宮予算を縮小する計画を邪魔されたことなど、心に溜まった恨みつらみに果てはない。
一方でこの皇太后は、自身では己をどう捉えているのかは知らないが、決して策略に長けた女というものではない。
既に年老いていた先代皇帝の皇后の位へ小娘の歳頃で就き、それ以来先帝を始めとして、様々な者たちへ上手く取り入って後宮内で贅沢の限りを尽くした。
昔も今も、後宮の外に世界があることすらも忘れているであろう。
贅沢好きの小娘のまま、権力だけが肥大した状態でこうして年寄りになった。
己が周囲を手のひらで転がしているように振る舞うが、それでいて実の所、周囲の手のひらの上で転がされているだけの、空虚な女。
それが皇太后である。
――この女、いつまで若いつもりでいるのだか。
志偉の心には怒りよりも、いっそ呆れが浮かんでしまう。
この女も家から「籠の鳥」となるべく教育された、ある意味哀れな女と言える。
そしてこれまでの生で、その生き方以外を自ら知ろうともしなかった。
哀れでもあるが、愚かでもある女だ。
志偉があのダジャルファードを嫌ったのは、この皇太后に似た質を感じたからだ。
だが皇太后とダジャルファードには、決定的な違いもあった。
それは「国を守る」という確固とした意志だ。
あのダジャルファードはその意志を貫く方法を間違えたようだが、皇太后のような全くの空虚ではなかった。




