365話 微妙な空気
このように、多少和らいだ雰囲気になったところへ、立彬が口を挟む。
「建物に引火していないのですか?」
「ああ、どうやら遠くから火薬を投げ込んで火をつけたらしいが、さすがに建物へ不審物を届かせるほど、こちらも馬鹿ではない。
建物で燃えたのは、ほんの一部の壁程度だ」
周囲の状況を観察する立彬に、太子が答える。
なるほど、放火のやり方が雑だったので、ある程度防ぐことは成功したということだろう。
いや、むしろそんな雑な放火であれば、あの護衛の人たちならば完全に防ぐことが出来そうなものだ。
それが出来なかったのは、あの護衛の人たちも動きを邪魔されている、ということかもしれない。
――けどこの広い百花宮全部を守るって、相当大変だものねぇ。
防衛とは難しいものなのだと、雨妹は改めて思い知らされる。
それにしてもあの宦官たちのやり口といい、色々なことが雑に思えるのは、東国側の人材不足なのか、はたまた皇帝側が上手だったのか?
どっちにせよ、追い詰められた人間はなにをするかわからない。
――もう後がないってなった人って、破れかぶれでトンデモ行動をしちゃうもんねぇ。
雨妹とて前世ではこうした荒事ではなかったものの、そうした場面に遭遇したことがしばしばあった。
特に病院勤めという仕事は色々と心労が大きい職場であったので、心労を溜め込んだ末の爆発は色々な事件を起こしたものだ。
そんなことを考える雨妹の一方で。
太子は雨妹たちの背後にいる外套で身を隠した人物――ダジャが気になるらしく、しきりに視線を向けている。
だがダジャはその視線から逃れるかのように、スウッと一歩下がり、無言を貫く。
ダジャは太子の身分を察しているのだろうが、なにしろこっそりついてきた身であるので、当然挨拶なんてするわけにはいかない。
そのダジャを連れてきた雨妹にも視線を向けられるのだが、太子側に情報を与えないようにしていたので、こちらとしても若干気まずい。
しばし雨妹とダジャと太子の三者で、だんまり大会となっていたが。
「はぁ~」
太子が大きく息を吐く。
どうやら太子は、ダジャについて追及したい気持ちを一旦諦めてくれたようだ。
次いで、再び雨妹の方を見た。
「雨妹、火事は恐らく対処可能だ。
君は陳先生の所へ行ってやりなさい。
あちらもきっと大変だろう」
確かに、火事は思ったよりも小さな規模で治まっており、このまま油断せずに消火活動をすれば、どこもやがて鎮火するだろう。
けれど火事などでの怪我人は、これから増えていくはずだ。
「わかりました、医局へ行ってみます」
雨妹は太子にそう答える。
「なにがどうなっているのかわからぬ故、危険の把握が難しい。
重々に気をつけろ」
続けて立彬が厳しい顔で忠告してくるのは、立彬自身は雨妹とこの先を同行できないからなのだろう。
雨妹としてもさすがにこの混乱の最中、これ以上立彬を太子から借りっぱなしでいるわけにはいかない。
「はい、注意します」
これにも雨妹がそう答えるが、内心では先程襲われたばかりでもあるし、不安を抱えていたのだが。
「危険、私も行く」
背後から小さくダジャが告げた。
雨妹はダジャの強さをこの目で見たので、彼が一緒に来てくれるのは心強い。
静も一緒に居られるのが嬉しいのか、ダジャの外套をクイクイと引くのに、ダジャはその肩を叩いて返す。
立彬もダジャが同行することで、ある程度の安心感を得られたのだろう、若干表情を和らげる。
「どうか、くれぐれもこの娘を頼む」
そして立彬はそう言って、持っていた棍を丸腰のダジャに渡す。
「……わかった」
ダジャは棍を受け取ると、強い決意を感じさせる目で立彬に向かって頷いた。
というわけで、雨妹は太子宮に来たばかりで、またまた移動だ。




