349話 助け
「あの、助けて……雨妹を助けて!」
語り終えて、悲壮な表情で訴えてくる静の頭を、立勇は軽く叩く。
「言わずともそうする。
そう泣くな、雨妹は無事でいるに決まっている」
立勇がさして動揺することなく、そう断言してみせると、静の涙が少しだけ引っ込む。
「……そうかな?」
「そうなのだ。
それにしても雨妹よ、いつもながら、妙なお人を引き当てる奴め」
静の懸命な説明を聞いて、立勇は危機感と同時に感心してしまう。
「お前の手引きか?」
「いいや、偶然だ。
張雨妹があそこにいるとは思わなかった」
立勇が疑いの眼差しを向けるのに、あの男は真顔で返すので、どうやら本当に偶然らしい。
雨妹たちが出会った皇子、沈天元とは、皇太后派ではなく、かといって皇帝に与しているわけでもない、独自の立場を持つ皇子である。
沈は先の戦乱の混乱期に生まれた皇子だ。
皇帝・志偉が戦乱をなんとか収めた後、敵であった一族は全員粛清されてもおかしくなかったが、「敵となった一族全てを殺しては、王宮が立ち行かない」と志偉が発言したことで、一部の皇族は粛清を免れた。
その内の一人が沈である。
沈は崔国の戦乱に乗じて他国に荒らされていた揚州に向かわされ、混乱を治めてみせた。
その手腕から、「皇帝の座につくに相応しい男」として常に名が挙がるため、皇太后にとって沈とは目の上の瘤であろう。
しかし本人は戦乱からその後のあれこれで色々と懲りており、皇帝位を欲する気持ちなどこれっぽっちもないと、以前に明賢に語ったことがあるという。
むしろそのような面倒を背負う明賢を尊敬するそうだ。
そんな御仁であるので、そう頻繁に宮城へ顔を出すことはないのだが、それでも時折他州との取引のために、このように花の宴を利用することもある。
特に徐州の黄家と沈は、互いに得意先であろう。
立勇とて、皇太后の名を出して絡んだという宦官のことを怪しいと感じる。
昨今、なにか無理を通そうとする際に、皇太后の名が使われることがしばしばある。
皇太后には無関係のことであっても、皇太后は己の名前を出されることを、ある種の権威の証というように捉える節があった。
自分の名を出して恐れられることに、快感を覚えるのだろう。
「わたくしはただ相手に頼りにされただけのこと。
それを、なにをそう声を荒げるのか?
誰かに好かれるとは嬉しいものだ」
このように言って追究してくる者を煙に巻いてしまう。
この皇太后の悪癖が悪事を助長させているということに対して、当人は無頓着であり、皇帝も頭を悩ませている種だ。
だが、もし今回その皇太后の名を利用した宦官が捕まったとして、その時に沈を間に挟んだとなれば、皇太后はこれまで通りに煙に巻くことはできないだろう。
煙に巻くのは、あくまで皇太后の支配域で通用する手段だ。
沈は皇太后の支配域の外にいる男だ。
沈と同様であるのは、あとは黄家くらいであろう。
雨妹は、この事件を握りつぶされないための絶好の縁を引き寄せたのだ。
――なんという強運か。
立勇はその強運が雨妹を助けてくれることを祈り、静を見やる。
「何静、お前が今するべきことは、己の身の安全を第一に考えることだ。
ひいては、それが雨妹の安全に繋がる」
立勇がむやみに行動しないようにと暗に釘を刺すのに、静は「わかった」と小さく頷く。
――賢い娘だ。
足手纏いになることの危険をわかっており、それだけ育った環境が過酷だったのだろう。
しかしそうなると、静の身柄をどうするべきか? このまま刑部官吏に預けておくわけにもいくまい。
この男とて、仕事があるのだ。
「さて、どうするのが最善か」
立勇が頭を悩ませていた、その時。
「その娘、わたくしが預かりましょう」
柔らかい声が響いてきたことに、立勇はハッとして礼の姿勢を取る。
「これは、恩淑妃」
そう、何故かこの裏門へ恩淑妃がやってきたのだ。




