302話 違和感
――え、そんな最悪の状況になるまで、被害を放っていたってこと?
雨妹はこの話にどうにも違和感があり、眉をひそめる。
春節前にケシ汁の問題を太子の元へ持っていった時には、大騒ぎになったというのに。
国が違えど太子と同じくらいの身分であろうダジャの、こののん気さはなんだろうか?
一方で、ダジャの話を聞いて解が頷いてみせたので、彼が知っている情報と同じことが述べられたのだろう。
「張殿、今の話について、なにか意見がおありで?」
解に話を振られ、雨妹は気になったことを尋ねてみた。
「あなたはケシ汁の影響が重篤な者を、実際にその目で見ましたか?」
雨妹の質問を、通訳から聞かされたダジャが大きく頷く。
「では、ケシ汁被害の現実を見たのに、危険だと思わなかったと、そういうことでしょうか?」
少々きつめの口調になってしまった雨妹に、ダジャは戸惑うようにしながらも、これまた通訳に向かって頷いてみせた。
――ケシ汁中毒というものを全く知らなかった立彬様でさえ、患者を見てすぐに異常だと判断できたのに。
立彬は刑部で重篤なケシ汁中毒患者を目にして、言葉では伝わり辛い現実を知れたという。
一方で、ダジャは実際の目で見たのになんとも思わなかった。
彼だけではない、把国の誰もがそうだったとしたら、国全体がのん気過ぎはしないだろうか? それとも、把国人とは個体差で、ケシ汁中毒の症状があまり強く出なかったのか?
この雨妹の抱く違和感に、通訳越しにダジャが返したところによると。
『いつものことだろうと、誰しもがそう考えていたのだ』
「いつものこと、とは?」
このダジャの言葉に、雨妹のみならず李将軍が反応した。
なにか異変はないかと、頻繁に都を見て回っている李将軍なので、ダジャのケシ汁問題に対する初動の遅さには、彼としても思うところがあるのだろう。
『それは……』
雨妹と李将軍の視線を受け、最初は答え辛そうにしていたダジャであったが、やがて口を開く。
『我が国には、昔から国民病と言われている不治の病がある。
自失病などと民は言っているな』
そのように語るダジャによると、ケシ汁の被害はその自失病の新たな症状だろうと思われ、放置されていたのだそうだ。
『わめき、暴れ、妄言を吐くといったことを繰り返す……昨今、国ではそのような状態になって暴れ、牢屋に入れられる者がそれなりに多い。
なので、異常だと思いもしなかった』
深刻そうなダジャの表情を見ると、その場しのぎの嘘を言っている風にも見えない。
「お主は、その病とやらを知っているか?」
李将軍が通訳の男に尋ねると、「ええ」と彼は肯定した。
「アッシも最初は怖いと思いましたがね、その自失病とやらは人にうつるようなものではないんだそうで。
生まれつきの病気ってやつです」
「生まれつき……もしかして、っと」
通訳の男の話を聞いて、ふと雨妹の脳裏をとある知識がかすめた。
けれど、ここは不用意に発言してもいい場ではなかったと思い出し、慌てて口をつぐむ。
「なにか、思い当たるのか?」
そんな雨妹の様子に気付いた解が、ダジャの方へ聞こえないくらいの小声で問うてくる。
「ええっと……」
これに雨妹は迷いながらも今浮かんだ考えを、こちらも小声でひそりと口にした。
「もしかして把国では、近親婚を推奨されているのでしょうか?」
雨妹の問いに、解が目を見開く。
「……なんと、近親婚のことを知っているとは驚いた」
解はそう告げてから、「うぅむ」と唸る。
「我が国でも、かなり歴史を遡ればさようなこともあったが、今はそうした事例は推奨されてはいない」
「そうでしょうね、自然とそうなると思います。
続ければ一族が滅亡しかねませんから」
「よくわかっている、推奨されなくなった理由はまさしくそれなのだ。
そうかなるほど、それならば納得がいくかもしれぬ」
解と雨妹が二人でわかり合っているのに、李将軍と明が不思議そうにしていた。




