270話 ちょっと違う
黙り込んで俯く静に、雨妹はさらに言う。
「読み書きができないということは、商品に値札がついていても読めないし、なにかを調べたくても、どこかに保管してある過去の記録も読めないってことでしょう?
そうなると商品の値段だって、調べものだって、誰かが口で教えてくれる内容を信じるしかないわけ。
そこで質問します。
静静は、世の中の全員が本当のことを喋ってくれる真心の持ち主だと思う?」
この問いに、微かに顔を上げた静は苦い物を飲み込んだような顔になる。
「……思わない、嘘つきは大勢いる」
そして、やっと絞り出すようにして答えた。
今まで、そうやって騙されたことが何度かあったのだろう。
この答えに、雨妹は「うんうん」と頷く。
「そうだよね、正直な人もいるけど、嘘つきだっている。
読み書きができるって、嘘を見抜く道具を一つ手に入れるってことだよ。
まあ、読み書きができれば嘘に騙されることが全くなくなるわけじゃないけどね?
少なくとも、簡単な嘘に騙されることはうんと減ると思う」
「そうかなぁ?」
それでも静は疑わしい態度だ。
「だって、宇は読み書きができるけど、嘘に騙されやすいんだ」
素直でなんでも信じやすい人というのは、世の中にはいるものであるが、静の双子の弟はそうした性格であるようだ。
やはり宇には勉強を仕込まれていたらしいが、その勉強をしている身近な人が、静に悪い印象を植え付けてしまっていた。
「そういう人は、騙されないための道具が読み書き以外にも、もっとたくさん必要になるかな。
信頼できる周りの人と仲良くする方法とか、そもそも嘘つきを身近に来させない方法とか」
雨妹がそう説明すると、静はちょっと考えてから「そっかぁ」と息を吐く。
「老師はいつも宇にたくさん勉強をさせたがったのは、宇が嘘つきにいじめられないためだったのかぁ」
静が妙な納得の仕方をしたが、今はそれでよしとしよう。
「しかもこの読み書きっていう道具は、頭の中にしまってあるものだから、誰かに盗られちゃう心配もない。
ね、すっごい道具だと思わない?」
「う~ん、わかったような気がしなくもない」
雨妹の熱心な訴えに、静から先程よりも若干前向きな言葉が出た。
どうやらやる気が芽生えてきたらしいので、この隙を逃してはならない。
「というわけで、静静はこれから読み書きの勉強をしましょう!
そして、食べることの勉強もします!」
雨妹が告げた言葉の後半を聞いて、静がギョッとする。
「えぇ~、朝に頑張ってたべたじゃん!」
どうやらもっとたくさん食べさせられると思ったらしい静に、雨妹は「そうじゃあなくて」と否定する。
「自分が食べているのはなんなのか? っていうことを勉強するの。
静静、食堂の食事にびっくりしなかった?」
この雨妹の問いに、静が即答するには。
「なんであろうと、食べられるものを食べられる時に食べるのが、生き残る知恵だってダジャが言っていた」
「そっかぁ、ダジャさんかぁ」
この言葉に、雨妹はなんとも言い難い表情になる。
まあ、この教育も間違いではないのだけれども。
――ダジャさんの教育って、ちょっと過酷な環境に寄りすぎだよね。
軍隊の教育をさせたらすごい人なのだろうが、普通の子どもを育てることへの向き不向きはどうだろうか? そして、だから静は出された食事の量に不満はあっても、その他に文句を言わなかったのかと、今更ながらに気付く。
――もったいない! 新しいご飯との出会いをふいにしちゃっているよ!
食べたことのない食事を目の前にしての「なにこれ!?」っていう驚きが、食事を楽しくするというのに。