258話 引っ越し祝い
雨妹たちは敷物を敷くために、一旦入れた牀と衝立を再び外に出す。
やはり筵のみと敷物アリとでは、足元の快適さが違う。
これで土間からの冷えが和らぐというものだ。
牀と衝立を元に戻すと、くつろぎ感がマシマシになっている。
ちなみに、杜もこの一連の作業を手伝ってくれた。
皇帝自ら引っ越し作業をするなんて、おそらくは少なくともここ数年やったことがないだろう。
なんだか楽しそうですらあったくらいだ。
「はぁ~、やっぱり敷物って要るねぇ」
雨妹は敷物の上に直接ゴロンと転がる。
厚みがあって肌触りがいい敷物で、きっとこれを雨妹が今買うことは難しかったに違いない。
「うん、あったかい」
静も雨妹の真似をして敷物に寝転び、うっとりとした顔になっていた。
「ふむ、夜までに敷けてよかったのぅ」
雨妹たちのこの姿に、杜が目を細めている。
本当に、敷物を買うまでは夜の寒さを我慢するつもりではいたが、思わぬ幸運だ。
しかも、杜が持ってきたのは敷物だけではない。
「ほれ、疲れたであろう、これを食べよ」
そう話す杜が視線を向けた先の台所には、いつの間にか油紙の包みが置いてあるではないか。
恐らくは、影の誰かが頃合いを見計らって、そっと置いたのだろう。
包みの中身は、まだほんのりと温かい干し棗入りの糕だ。
ご丁寧にお茶を飲むための茶葉まである。
――引っ越し後のおやつまであるとか!
至れり尽くせりの差し入れに、雨妹は感謝しつつ、早速お茶を淹れることにした。
というわけで竈に火を入れてお湯を沸かす雨妹だが、こうして自分専用の竈があるということは、鍋なども置いておけるということだ。
これまでは他人が捨てた、端がちょっと欠けた鍋を再利用させてもらっていたが、ここでひとついい鍋を自分で買うのも考えておこう。
――自分の家って、楽しいなぁ!
思えば、前世で看護師になりたての頃。
勤めていた病院の寮に入っていたのだが、そこから出てアパートへ引っ越した時にも、同じように感じたことを思い出す。
寮だと家賃は安上がりで、食事などの面でも楽ができたものだが、いくら金銭面や家事の面での苦労が増えても、誰にも干渉されない空間を手に入れたことで、やはり解放感が勝ったものだ。
皇帝に自らが淹れるお茶をご馳走するというのは、なかなかに緊張することなのだが、幸い雨妹はその事実に気付かず、いつもよりも多少丁寧にお茶を淹れて、部屋へ持っていく。
部屋は衝立を端に避けて三人で座れる空間を作っていて、卓なんてないので、敷物の上に直接お茶の入った杯を置いた。
糕もお湯を沸かす際の竈の火で温めていたので、よりホカホカである。
「さぁさ静静、ありがたく頂こう?」
「……ありがとうございます」
雨妹が促すと、静が杜に礼を述べる。
「うむ、しかと食べて精をつけろ」
これに杜が頷いたところで、雨妹が早速糕にかぶりつく。
「ん~♪」
糕の素朴な甘さと、干し棗の甘酸っぱさが相まって、とても美味しい。
「……こんな、不思議な食べ物があるのか」
静はというと、糕を一口食べて目を丸くしていた。
その反応に、雨妹の方も目を丸くする。
――あれ、もしかして糕を食べたことがない?
雨妹とて、糕なんて都へ出てきて初めて食べた。
しかし、仮にも大公の姉である静が、糕を食べたことがないだなんて、あるものだろうか?
雨妹が不思議に思っていると、その様子を見ていた杜がお茶を一口飲んでから、静に話しかけた。
「李将軍から聞いたぞ、お主は苑州から来たそうだな」
「……!」
いきなり核心の話をしてきた杜に、静が一瞬身を固くする。