239話 人生楽しく
雨妹はさらに続ける。
「仕事でも、そうじゃないどんなことでもさ、『なんで? どうして?』を頭に浮かべることって、生きていくのを楽しくするの」
雨妹の場合、この『なんで? どうして?』がほぼ野次馬につぎ込まれるわけだが。
雨妹の言葉に、静は衝撃を受けたというような表情になる。
「……私、そういう事、これまで誰にも教えてもらえなかった」
そう言う静に、雨妹は穏やかに諭す。
「こういうのって、誰かに教えられて『そうか!』ってなるものじゃあなくてさ、他の人を見ていて自分で気付くかどうかだと思うな」
誰かに教科書の教えのように告げられた内容というものは、案外たやすく記憶から漏れていくものだ。
その時は「なるほど、いいことを聞いた」と思っても、それを真に自分の身に起こることだと想定できていなければ、一瞬後には忘れているだろう。
けれど自分で行動して気付いたことは、長く心の中に残る。
そしてかつて誰かに言われた内容が記憶の底からよみがえり、「あれはこういうことだったのか!」と発見するのだ。
生きるのに必死で余計なことを考える余裕がないような時こそ、こういう気持ちが大事なのだと、雨妹は思う。
矛盾した言い方のようだが、必死な時こそ一瞬でも立ち止まらなければ、細い道で分岐している人生の分かれ道を簡単に見逃してしまう。
生きることに必死だという事に関しては、雨妹だって辺境で相当必死な幼少期を過ごしたとは思う。
けれど己の人生を悲観して憐れんで過ごしても、人生なにも面白くない。
面白みのない辺境でのつまらない暮らしの中で娯楽要素を探すことに、どれだけ苦労したことだろうか?
――絶対に辺境で枯れるように死にたくないって、そればっかり思っていたんだよねぇ。
せっかく華流ドラマの舞台のような国に生まれ落ちたのだから、きっとドラマのような出来事がどこかで起きているに違いなくて。
ならばそのドラマを生で眺めるために生まれたのだ、と本当に信じて疑わず、いつかその機会に巡り合えば逃すまいと、そればかり考えていた。
つまり、物心ついた頃から野次馬根性の塊だった雨妹なのである。
「だからさ、静もちゃんと周りを見て、自分が楽しくなりそうな『なにか』を見逃さないようにしなよね。
辛い事は目の前にドーンと居座って嫌でも目に付くけどさ、楽しい事ってすぐにどこかに隠れちゃうんだから」
「ふ~ん、わかった」
静は素直に頷くものの、きっと本当にわかったわけではないだろう。
けれど、この言葉が心の奥底に残っていたら、いつかピンと来る事があるだろう。
そんな話をしつつも、雨妹と静は掃除を続ける。
拭き掃除まで終えた頃には、雨妹が一人でやるよりもだいぶ時間が過ぎていたけれど、掃除に慣れない人だと作業時間はこんなものだろう。
静は最初、朝食を食べ過ぎたために満腹過ぎて動きが悪かったのだが、雨妹の指示通りに動いているうちに食事量と運動量が釣り合ってきたのか、だんだんと動きが機敏になってきた。
「よぅし、こんなものでしょう!」
雨妹が掃除の完了を告げると、静はその場にへたり込む。
「なんだか、旅で歩くよりも疲れた。
山越えをした時よりは楽だけどさ」
静が漏らした愚痴に、雨妹は苦笑する。
「そりゃあね、極端に言えば歩くのって身体反射の惰性で前に進めるけど、掃除の動きはそうはいかないし、身体のいろんな個所を使う全身運動だからね」
雨妹はそう言いながら、静に水の入った竹筒を渡し、自身ももう一つ持っている竹筒からグビッと水を飲む。
その時。
「ここにいたか」
ふいに、そんな声が聞こえた。