23話 痩せた子供
皇帝と初遭遇した数日後。
「おっそおっじしっましょ~♪」
雨妹は今日も掃除に精を出していた。
皇帝、そして自身の父かもしれない存在に会った直後というのに、普段と変わらずである。
――我ながら、心を動かされなさ過ぎてビックリだわ。
雨妹だって、実際皇帝を目の前にすれば、前世で見たドラマのように
「あれが私のお父さん……!」
的な感動がどっと溢れ出るかもしれない、と思っていたのだ。
だが、実際目にしてみれば、「あ、ふーん、そう皇帝なの」くらいの感情しか搾り出てこなかった。
――今世の実の両親っていうのに、実感が持てないんだろうなぁ。
なにせ両親の温もりすら覚えていないのだから。
母は物心ついた時には亡くなっていた人なので、情を抱きようがない。
ただ、後宮に生きる女の宿命で亡くなった。
雨妹にとってはそれだけの情報だ。
父も同様で、会ったこともない雲の上の人に、どんな思いを抱けというのか。
薄情なようだが、人間なんてこんなものである。
記憶に登場しない両親よりも、今おやつをくれる美娜の方がよほど大事だ。
そんな雨妹の今日の仕事は、他の宮女と一緒に回廊の掃除だ。
回廊と言っても後宮のそれはとても長く、複数人で分担しても掃除区域は広い。
「これ、一人がサボったら穴埋めが大変だな」
梅のようなサボリ癖のある人だと、大変な思いをするのは目に見えている。
とりあえず雨妹の隣を担当する宮女は真面目に掃除しているようなので、そこはホッとしているが。
そんなわけで掃除を続け、自分の担当区域を掃き終えたら、時間はちょうど昼時となっていた。
――よし、休憩!
掃除道具を片付けた雨妹は、休憩場所を探してキョロキョロすると、回廊から見え辛い場所に手ごろな石を見つけた。
早速そこまで行き石に腰掛け、掃除用のマスクを外して水筒代わりの竹筒から水をグビッと飲む。
「ふっふっふ」
そしてニマニマしながら懐から出した包みにあるのは、美味しそうな饅頭だ。
美娜からおやつにと貰ったものである。
「いっただっきまーす!」
雨妹は早速食べようと、饅頭にかぶりつこうとした時。
ガサガサッ
後ろの方で茂みが揺れる音がした。
――動物かな?
これだけ広い敷地だ。
どんなに管理していても野良犬や野良猫、たまに猿などが入り込むことがある。
雨妹はそれらに饅頭を奪われてはかなわないと、饅頭を手早く包みに戻して懐に仕舞う。
じっと茂みにいる何者かが去るのを待っていると、去るどころかこちらへやって来る。
そして、やがて姿を見せたのは。
「……あ」
茂みから頭だけ出したのは、一人の幼い男の子だ。
雨妹がいると思わなかったのか、大きな目を瞬かせた。
その子は手入れのされた黒髪に、青い目をしている。
後宮で暮らす子供は、皇帝か太子の子しかいない。
そして太子はまだ子がいないはず。ということは、この子は皇帝の皇子の一人だろう。
――それにしたって、これは……
雨妹はちょっとした違和感を覚えたものの、石から飛び降りて丁寧に頭を下げた。
「驚かせて申し訳ありません、ここで休憩するところだったのです」
「……」
雨妹の態度に、皇子が無言ながら茂みの中から出て来た。
どこを通って来たのか、全身葉っぱまみれであるものの、服装も豪奢なものを身につけている。
「あの、葉っぱをたくさんつけてますよ。取りましょうか?」
雨妹が葉っぱをとろうと手を伸ばすと、皇子はビクリと身体を震わせた。
「……?」
また違和感を覚えたものの、そのまま気付かないフリをして葉っぱをとる。
「ほら、綺麗になりましたよ」
「……ありがとう」
雨妹がニコリと笑うと、皇子が小さく礼を言った。
それにしても皇子殿下なのだから、堂々と回廊を歩けばいいのに。
何故茂みを突っ切って、こんな隠れた場所に出ようとしていたのか。
首を捻る雨妹は、先程覚えた違和感について考える。
――この子、痩せてない?
この年頃の子供というのは、誰もがふっくらしているもの。
しかしこの皇子は、ガリガリに痩せて顔色も悪い。
これは一体どうしたことか。
そんな疑問を抱いた雨妹が、皇子と無言で見つめ合っていると。
「なにをしている?」
回廊の方から男の声がした。視線をやると、こちらを眺めているすっかり見慣れた宦官の姿がある。
「あ、立彬様」
「お前は、休憩するならもっと……」
立彬は雨妹の休憩場所に文句を言おうというのか、こちらに歩み寄る。
けれど近付くと皇子の姿が視界に入ったらしく、一瞬目を見張った後。
「……ちょっと来い」
立彬が雨妹を手招きした。




