198話 いよいよ
その日は薄曇りな空模様で、冷たい風が強く吹いていた。
宮城の外廷側にある、戦いによって亡くなった兵士を弔うために建てられた廟の前には、多くの人が集まっていた。
集まった人々の先頭に護衛の立勇を連れた太子がいて、そしてその隣に琵琶を抱いた徐がいる。
そう、徐は今からここで葬送の琵琶を弾くこととなったのだ。
集まったのは主に軍の関係者で、李将軍もいるし、明の姿もあった。
その明は一人兵士を連れてきており、しきりに小声で話しかけている。
それらの様子を、雨妹は集団の端の方から観察していた。
百花宮の外であるのに、何故宮女である雨妹がこの場にいるのか? それは、隣にいる人物に連れ出されたからである。
「ふむふむ、よき天気ではないか。
こういう事は天気が悪ければ気分が湿っぽくなるし、かといってカラッと晴れてもちぐはぐだ。
このくらいが丁度良いというものよ」
そのようなことを雨妹に話しかけてくるのは宦官、杜である。
そもそも、どうしてこのような状況になっているのかというと。
徐の「亡き恋人のために葬送の曲を弾きたい」という願いを小耳に挟んだ皇帝が、「ならば片隅でひっそりとせずに、冥府に届きやすい場で弾くとよい」と言ってこの場が設けられたという話だ。
雨妹もこの話については徐から聞いていたが、様子を見守りたくても場所が百花宮の外なだけに無理かと思っていたところ、当日になって突然この杜に声をかけられたというわけである。
――この人、なんかやることがいちいち心臓に悪い!
掃除の途中にいきなり現れて、有無を言わさず連れてこられたこちらの身にもなってほしい。
杜は立彬と違って、やることの想像がつかないので怖いのだ。
雨妹はジトッとした視線を向けて、杜に話しかける。
「……この行事、皇帝陛下は参列されないのですかね?」
この問いに、杜は口の端を上げてニヤリと笑う。
「来んよ。
皇帝自ら弔うとなれば、もっと大仰な国家行事になってしまうだろう?
徐はあくまで恋人一人を弔いたいだけで、他の一緒に眠る兵士たちはそのおこぼれに預かるだけよ、だからこれでいい。
一応、名代がいるしな」
杜はそう言って最後に太子を顎で指す。
太子に向かってその態度とは、普通の宦官ならば不敬で捕まるのではないだろうか?
しかも、この場には軍関係者がわんさかといるのだ。
それでも不思議なことに、この皇帝陛下のそっくりさんな宦官を、誰も見ようとしない。
それこそ、不自然なほどに目を逸らされている気がする。
もしかしてこのバレバレなお忍び姿は、関係者の間では広く知られているのだろうか?
それではその隣にいる雨妹の立ち位置は、お忍びに巻き込まれた憐れな新人宮女といったところか。
――私、なんか可哀想じゃない?
雨妹が一人ひっそりとため息を漏らしていると。
「それよりも、あちらから目を離すでないぞ?」
杜が真面目な声でそんなことを言ってくる。
「わかってますよ」
雨妹もこれに頷いて答えた。
そう、杜はなにも親切心のみで雨妹をここへ連れてきたわけではなく、ちゃんとお仕事なのだ。
仕事内容は、とある相手を観察すること。
その相手とは、明が連れている兵士である。
あの兵士、実は明の家に居候している記憶喪失の男、東であった。
場違いな自分の存在におろおろしている東を、明がなだめすかしてこの場に居させようとしているのが見て取れる。
「都で一番の琵琶師を拝みたくないか?」
明が東にそう言ってここまで連れてきたということなので、来てみれば誰かの弔いの儀式なのだから、戸惑うのも当たり前だろう。
しかし、むしろ東こそがこの場の主役である。
これは東が何者なのかを確かなものにできるかどうかという、ある種の勝負なのである。
そして雨妹は、東に万が一のことがあった際の救急箱役だ。
このようにして、様々な思惑が入り混じった弔いの場で、徐が太子の隣から一人前に進み出て座る。
「では、弾かせていただきます」
そう告げた徐によって、いよいよ琵琶が奏でられることとなった。




