194話 急患のようです
雨妹たちの話が一段落をしたところで。
「それも、旅人から聞いたのか?」
黙って聞いていた陳が、おもむろに雨妹に尋ねてきた。
「そうです!」
雨妹が大きく頷き肯定するのに、陳がニヤリと口の端を上げる。
「そいつぁなかなかの知恵者だなぁ」
意味深な笑みを浮かべる陳に、雨妹は内心で「ひいっ」と悲鳴を漏らす。
――なんか、陳先生が怖いんだけど!?
なにかを察していそうではある陳だが、ここで押し負けたら駄目だ。
雨妹はニコニコ笑顔で誤魔化そうとしていると。
「そちらに医局の先生がおられるか!?」
前方からそんな声が響いてきて、見れば官吏が一人早足でやってきている。
「おお、いかにも私は医者だが」
陳がそちらに手を振りながら声を張り上げると、相手はホッとした表情をして、雨妹たちの前で立ち止まって息を整える。
「まだ帰っておられなくて助かった、実は収容者から粉らしきものをかけられた者が苦しんでおるのだが、どうか診てもらえぬか!?」
官吏から語られた内容に、雨妹と陳は顔を見合わせる。
――それって、もしかしてさっきの建さんの騒ぎのことかな?
陳もおそらくは同様のことを考えたのだろう、難しい顔をしている。
「そりゃあ大変だ、すぐに診てみよう」
「粉ですか、なんでしょうかね?」
陳が了承して雨妹が疑問を口にしたところで、徐が口を挟んだ。
「アタシは部屋に戻るけど、戻るだけならこっちの坊やだけでいいだろう?」
「あっ、ハイ! 私がお戻りに付き添います!」
徐の言葉に、「坊や」呼ばわりされた彼がしゃんと背筋を伸ばして告げる。
「だからアンタも、とっととどこにでも行きなよ」
無関心を装いながら話す徐は、どうやら雨妹も陳について行くように促そうとしているらしい。
「……そうですか、ではここで失礼します。
また御用があれば、いつでも呼んでくださいね!」
「お節介な娘だよ、まったく。
ほら、さっさと行きなって」
雨妹がニコリと笑って別れの挨拶をするのに、徐は手を振って追いやるような仕草をする。
――思いやりの表し方が、ちょっとひねくれた人だなぁ。
それも徐のこれまでの苦労の表れだろうと思うと、雨妹としては切ない気持ちがよぎるが、今は彼女の言葉に甘えさせてもらう。
というわけで、雨妹も陳の助手としてついていくことになり、そうなるともちろん立彬も自動的に付き添うことになる。
陳を呼びに来た官吏についていくと、医務室のような部屋に通された。
聞けばこの部屋に医者が常駐しているわけではなく、治療に必要な道具がおいてあり、これを使って各自で手当てをするらしい。
それでも間に合わない時に、医者を呼ぶのだそうだ。
刑部でもそうなのだから、後宮を含めたこの広い宮城内を賄うには、医者の数が足りないのかもしれない。
なにしろこの国には前世のように医者の学校があるわけでもなく、医者の職とは一子相伝の技術のようなものなのだから。
そんな医者事情はともかくとして、その粉をかけられた患者である官吏の男の様子を見に行く。
その官吏には、立彬の同期のあの男が付き添っていた。
「来たな、こちらだ」
彼は雨妹たちを手招きして、患者を指し示す。
「あああ、ゴホッ!」
患者は痛みを堪えているらしくしゃがれた声を漏らしながら、たまに咳をしていた。
「ふむ、どれどれ」
早速診察した陳がまず気にかけたのは、患者が涙を流していることだ。
最初は痛みを堪えているせいかと思ったのだが、どうやら違うらしい。
そして肌がところどころ軽い炎症を起こしている。
加えて、雨妹は患者からかすかに漂う香が気にかかった。
「陳先生、この香りって辣椒じゃないですかね?」
雨妹は陳にそう述べる。




