18話 目立たないためには
立彬に指摘されて以来、雨妹は常に頭巾とマスク布を身に着けているようになった。
例外は食事の際にマスク布を外すだけだ。
立彬は「髪が目立つ」と言っていたが、この怪しい格好も十分に目立つと思うのは、自分だけだろうか?
前世で言えば帽子を目深に被ってマスクで顔を隠しているようなもの。
これに眼鏡をかけたら、完璧な変質者に見えるのではなかろうか。
――でも、青い髪で目立つのはやっぱ危ないよねぇ。
立彬の懸念の通り、さすが母がこの髪で皇帝に見初められただけはあって、雨妹の髪は目立つ。
掃除に行く先でも「あの青っぽい髪の宮女」と覚えられている節がある。
雨妹の母が後宮にいたのは十六年前。
宿舎にいるような年若い宮女は、雨妹の母のことなんて知らないだろうが、ある程度の歳の妃嬪や女官などは覚えているかもしれない。
今のところそんな上位の妃嬪がいる場所には行っていないが、今後気を付けるに越したことはない。
それにしても、髪を隠せというのが、立彬個人の考えだとは思えない。
第一、立彬にそれほど気を使ってもらうような仲になった覚えはないのだ。
立彬を寄越した太子は、一体どういうつもりで忠告させたのか。
太子はひょっとして、母のことを知っているのだろうか?
――まあ、あまり変な期待は持たないようにしよう。
雨妹は自身の出自を示すようなものを、なにも持っていない。
あくまで尼たちに聞かされた話が全てなのだ。
もしかすると雨妹の両親だって、本当は辺境にやって来た旅人夫婦で、事故か病気かで死んでしまって尼寺に引き取られた可能性だってなくもない。
残された子供が悲しまないように、尼たちが悲劇の主人公めいた話を盛って喋ったというのもあり得るのだ。
なにせあそこの尼たちは、お喋り好きだったのだから。
自分の家族という人たちがここにいるのか、知りたいような気もする。
けれどそれは至上目的ではない。
雨妹は皇帝の娘と認められたくて、ここに来たわけではない。
目的は今でも後宮ウォッチングなのだ。
そんな風に自身の出自を割り切っていた雨妹だったが、頭巾にマスク布という風体を怪しまれてもなんのその、普通に過ごしていた。
一方でインフルエンザの猛威は未だ衰えない。
インフルエンザにかかりたくない雨妹は、清掃・手洗いうがい・アルコール消毒を徹底して生活する。
おかげで人の出入りが多くてゴミゴミしていた大部屋が、小奇麗になったと評判である。
だがそんな大部屋の掃除はともかく、手洗いうがいやアルコール消毒が他の宮女の目には奇異に映ったらしく。
目元しか露出のない怪しい格好と相まって、遠巻きにされていた。
それでも雨妹は気にせず過ごしていたのだが。
「小妹、その格好はなんとかならないのかい?」
ある日の朝食時、とうとう楊おばさんに言われてしまった。
「駄目ですか?」
「駄目っていうかねぇ……」
苦情を言われても全く動じない雨妹に、楊おばさんが困った顔をする。
「大部屋に住む娘たちの一部から、一緒の部屋にいたくないと言われているんだよ」
――まあ、怪しいよね。
それは自分でも認めるところなので、遠巻きにされるのをどうこう言うつもりはない。
だが少なくとも、インフルエンザの季節が終わればマスク布は外すつもりなので、しばらくすれば怪しさが半減すると思うのだが。
「風邪予防のための装備なので、風邪の季節が終われば外しますが」
「うーん、それがねぇ」
雨妹の話に、楊おばさんが唸る。
どうやら苦情を申し立てている相手は、それまで待てないらしい。
けれど大部屋は下級宮女が放り込まれる場所で、寝に帰るだけの場所である。
好きも嫌いも関係なく入れられ、私的空間なんてあってないようなもの。
精々自主的に床几の場所を離すくらいだ。
そこで「嫌いなので一緒の部屋にいたくない」だとか言われても、「だから?」という感想しか出ない。
「その人たちは、私にどうしろと?」
あの大部屋よりも下の部屋はないのだが。
首を傾げる雨妹に、楊おばさんがしかめっ面をする。
「自分たちを個室にいれるか、小妹を納屋に放り出せと言っているんだよ。
大多数は小妹が掃除をしてくれるので、多少変なのは目を瞑ると言っているんだがねぇ」
楊おばさんの言い方で、雨妹はピンとくる。
――騒いでいるのは梅の一派か。
大部屋にも梗の都出身らしい娘が数人いるので、彼女らに言わせているのだろう。
人員不足なので個室は余っているが、個室が与えられるのは上級宮女からだ。
大部屋にいるような下級宮女が個室を貰うなんて、特別扱いができるはずがない。
さらに言えば、梅とつるんでいる宮女が勤勉な性格だとは思えない。
楊おばさんの様子からして、騒いでいるのは上級に上がるにはほど遠い宮女たちなのだろう。
雨妹を納屋に入れれば気持ちがスッとする。
それが無理なら自分たちが個室に入れればよし。
どちらに転んでも面白い展開というわけだ。
――ふぅん、悪いこと考えるなぁ。
「連中の声が大きくて、他の宮女にも釣られる娘が出かねない。
どうしたもんかと思ってねぇ」
楊おばさんが愚痴るように言う。
もし騒いでいる連中の意見を飲めば、他の真面目に働いている宮女たちが黙っていないだろう。
騒げば個室が貰えるという前例を作れば、騒いだもの勝ちの流れができてしまう。
だが雨妹だって折れる気はない。
これは「病気には予防が大事」という宣伝をしているつもりなのだから。
実は人目のない仕事中に、こっそりとマスク布をしている宮女も出始めているのだ。
本当は人がいる場所でこそマスク布は生きるのだが、呼吸器内の乾燥を防ぐという意味では役立つだろう。
雨妹が怪しい格好を止める以外で事を収める手段は、大部屋を出るということだ。だがさすがに納屋は嫌だった。
しかし、丁度よさげな場所に心当たりがあったりする。
「私は大部屋を出てもいいのですが」
「……本当に納屋に行く気かい?」
目を見開く楊おばさんに、雨妹は首を横に振る。
「大部屋横の物置が余ってますよね?」
人が減れば荷物も減るので、現在は複数ある物置がどこもガラガラだ。
中の荷物を他の物置に移せば、あの物置は空室になるはず。
それに物置と言っても、前世のビジネスホテルよりは広い。
「風通しの窓もありますし、掃除して床几を入れれば立派な部屋になるかな、と思いまして」
糾弾している娘たちの意見を飲むことになり、雨妹は個室を手に入れられ、一石二鳥ではなかろうか。
「小妹はそれでいいのかい? 物置だよ?」
この提案に驚く楊おばさんに、雨妹はにこりと笑みを向ける。
「物置は物を置いているから物置なのであって、そこで人が暮らせば部屋と言えませんかね?」
「……まあ、そうかもしれないがねぇ」
楊おばさんが困った顔をするが、結局物置案は採用された。
――やった、個室だ!
引っ越し準備をする姿を他の宮女が痛ましそうに見る中で、雨妹の心はルンルンだ。
そしてふと気づく。
そう言えば、楊おばさんだって雨妹の母を覚えていてもおかしくない人である。




