17話 疑惑の宦官、再び
そんな梅とお仲間たちが、ずんずんと雨妹の座る卓までやって来た。
「呪いの元のくせに、こんな所に堂々と居座って。一体どういうつもりかしらね?」
「そうよそうよ」
「ここから消えなさいよ」
口火を切った梅に、お仲間も同調する。
「おはようございます、皆さん朝から元気ですね」
相手は一応先輩なので、雨妹は口の利き方で文句を言われないために、朝の挨拶をした。
こちらが嫌な顔をしたり、ムッとした態度を取ることを期待していたのだろう。
至って普通の態度の雨妹に、彼女たちは一瞬黙る。
こういう場合の回避方法は、相手のやり方に乗らないことだ。
怯んだ梅だったが、しかしすぐに持ち直す。
「呪いを振りまいて宮女が減った隙に、自分を売り込んでちゃっかり気に入られようだなんて、なんて厚かましいんでしょう」
大仰な言い方をする梅に、またもやお仲間が同調する。
「本当に、コレをこんなところに入れては駄目じゃない」
「みんな呪われるわよ」
食堂にいる他の宮女たちを扇動するように言うと、みんなコソコソと器を持って食堂を出ていく。
これは雨妹がどうのというより、梅たちが面倒なのだろう。
――面倒起こして御免。
雨妹は朝食の席を騒がせたことを申し訳なく思うが、騒いでいるのは梅たちだ。
このままだと梅たちは、嫌味を言うために延々と居座りそうなので、雨妹は少々反撃してやることにする。
「自分を売り込んだと言いますが、掃除をしている時の話です。
梅さんは私の世話役なんですから、一緒に仕事していれば梅さんも一緒に気に入られたと思うのですがね」
人に仕事を押し付けて遊んでいるのが悪いと、言外に言ってやると、台所の中から小さく笑い声が聞こえてきた。
食堂から皆出て行っても、台所番は当然中にいるわけで。
笑われた梅が顔を真っ赤にする。
「大体さぁ、呪いだなんだと騒ぎになったのは、阿妹の来るだいぶ前のことだろう?
梅は日にちを計算できないのかい?」
美娜の援護と嫌味の連続攻撃に、梅は鼻に皺を寄せた。
せっかく綺麗に化粧をしているのが、台無しな顔である。
「太子殿下にお目通りしたからっていい気になって!
見てなさい、私が太子殿下の妃嬪になれば、アンタなんて重労働に飛ばしてやるんだから!」
「ちょっと梅!」
「待ってよ!」
そう捨て台詞を吐いて足早に去っていく梅を、お仲間が慌てて追いかける。
食堂には雨妹と美娜の二人だけが残された。
――そうかあの人、太子を狙っていたのか。
だから太子に直接会えた雨妹の存在が、余計に悔しいのだろう。
「全く、しょうがない奴だよ」
ため息交じりに零す美娜に、雨妹は肩を竦める。
「ああいうのは構うと喜びますから、放っておきましょう」
付き合っても疲れるだけだし、関わらないのが一番である。
この雨妹の発言に、美娜が面白そうな顔をする。
「阿妹って、歳のわりに達観しているね」
前世の記憶がある分、考え方がババ臭いのは自分でも認めるところだ。
だが気持ちは年頃の乙女のつもりなので、それでよしとしてもらいたい。
そんなこんなで梅相手に朝から疲れてしまったが、朝食が終われば仕事だ。
「今日もお掃除しちゃうぞぉ~♪」
雨妹が小声で歌いながら掃除道具を持って回廊を歩いていると、正面の方から宦官がこちらに来る。
だがその宦官に見覚えがある。
――っていうかあの人、太子付きの人じゃない?
宦官というには疑問符が付く男であるが、雨妹よりもずっと偉い人には違いない。
雨妹は通行の邪魔をしないように端により、頭を下げる。
「早く通り過ぎろ」と心の中で唱えていたが、何故か宦官は雨妹の前で足を止めた。
「ここにいたか、宮女の宿舎まで行かずに済んだな」
後宮では聞き慣れない低い声は、非常に違和感を覚える。
というかこの宦官、もしや雨妹に用があってこちらに来たのか。
「私になにか御用でしたか? えー……」
雨妹は頭を上げて聞こうとして、途中で言葉が止まる。
そう言えば、この宦官の名前を知らない。
「俺は王立彬だ。立彬でいい」
呼び方に困っている雨妹に、相手はそう名乗った。
王という苗字は後宮でも多いので、区別するために名を呼べと言いたいのだろう。
王美人もそうだし、雨妹が知っているだけで宮女に五人ほど王さんがいる。
「では立彬様、私になにか御用でしたか?」
雨妹は改めて尋ねる。
「昨日の蒸しパンの贈り物を、江貴妃はたいそう喜んでおられ、その話を聞いた太子も嬉しそうであった。
太子が礼をしたいと申されたので、こうして伝えに来たのだ」
なんと、お礼の伝達のために来たらしい。
「太子にまで喜んでいただけたのならば、光栄です。
蒸しパンを作った宮女も嬉しいでしょう」
立彬に対して雨妹はそう告げる。
「……」
その後、立彬が無言になった。
話が終わったのなら、掃除に向かっていいだろうか。
というか、もしやこの男はこれを言うためだけに雨妹を探したのではあるまいな。
――まあ、太子直々に来られるよりはいいか。
ただでさえ悪目立ちしている雨妹なので、これ以上騒ぎの種になりたくない。
そしてこうして太子付きの宦官と二人でいるところを見られたら、またどんな噂が流れるかわからない。
「話がそれだけなら、失礼します」
雨妹が立ち去ろうとすると。
「お前は、いつもその格好でうろついているのか?」
立彬がそんなことを尋ねてきた。
「……そうですけど?」
雨妹の今の格好は、宮女のお仕着せにおなじみマスク布である。
そう言えば外すのを忘れていた。
これを指摘されているのかと思ったのだが。
「その髪、まとめて布に仕舞っておけ」
立彬は雨妹の後ろで縛ってある髪を器用にくるくると纏めると、懐から出した手巾で頭を覆う。
「これでいいだろう」
立彬の手が離れたので髪を触ってみると、雨妹がするよりも綺麗に纏まっている。
――器用な男だなぁ。
雨妹はどうなっているのか見て見たくて、窓のガラスに映る姿をしげしげと眺めた。
立彬はその様子を後ろから眺める。
「後宮では目立つことが、かならずしも良い結果に繋がらない。
お前のその髪は目立つ。
できるだけ隠しておくことだ」
「……はあ」
「ではな、邪魔をした」
曖昧に頷く雨妹に、立彬はヒラリと手を振って回廊を戻って行く。
それを見送っていた雨妹は、改めて頭に巻かれた頭巾に触れる。
――っていうか、絹なんだけどこれ。
服よりも高価な頭巾とか可笑しいだろう。
木綿を出さないあたり、立彬はいい家の出身なのだろう。
だとすると何故宦官になったのか。
逞しそうだったので、衛士の道もあっただろうに。
――いや、そこに触れては駄目だ。
雨妹は自分に言い聞かせ、謎解きしたくなる好奇心に蓋をする。
これは絶対にややこしい案件に違いないのだから。
とりあえず絹の手巾を持っていた掃除用の頭巾に代えて、目深に被った。
この絹の手巾は、なにかに使う時が来るかもしれないので、大事にとっておこうと思う。




