161話 覗きたいお年頃
「あとはそろそろ起きるであろう徐の話を聞くことだが。
さて、あちらは素直に真実を語るものか謎だな」
男がそう語っていると。
「放しなさいよ、放せぇ!」
部屋の外から、そんな女の金切り声が響いてきた。
雨妹が「なんだろう?」と外の様子に耳を澄ませていると、男が「クッ」と小さく嗤う。
「どうやら徐よりも先に、本命が連れて来られたようだな」
そう告げる男を見て、雨妹は目を丸くした。
本命とは、つまり犯人ということだろうか?
雨妹が外の音を窺っていると、どうやら近くの部屋に押し込められているらしい物音が聞こえる。
「予定通りだ」
男はそう言うと、飲んでいたお茶を卓に置いて立ち上がると、壁の方へ近づく。
なにをしているのかと雨妹が黙って見ていると、彼が壁をいじっていたところが、なんと一部外れて小さな覗き穴が現れたではないか。
「ファッ!?」
変な声が出た雨妹に、男は人差し指を口元に立てて見せる。
「あちらは掛け軸がかかっていて、この穴の存在は気付かれない」
そして小声でそう言うのに、雨妹はコクコクと頷く。
――わかりました、黙っていなきゃいけないんですね!
あちらの部屋も相当騒がしいようなので、幸い先程の雨妹の声は聞こえていないようだ。
あの覗き穴からなにが見えるのかと気になる雨妹は、ソワソワするが大人しく座っている。
ここは刑部であり、さすがの雨妹も野次馬根性の見せ場を間違ったりはしないのだ。
しかしそんな雨妹に、男が手招きをしてきた。
「……!」
呼ばれた雨妹は椅子を蹴立てそうになって慌てて椅子を手で押さえ、足音を立てないように忍び足で壁に近付く。
男が覗き穴を譲ったので、雨妹もそこを覗く。
確かに穴の向こうは掛け軸らしきものがかかっていて、そこに小さな穴が開いていて、上手く見えるようになっていた。
この掛け軸の向こう側にはなにが描かれているのか、雨妹はそれも気になる。
しかし、今気にするべきは見える景色の方だ。
「あの宮妓を知っているか?」
男に問われ、雨妹は首を横に振る。
「いいえ、というか私は宮妓の知り合いは徐さんだけで、教坊の掃除に入ったのも昨日が初めてだったんです」
雨妹はそう説明しながら、覗き穴の向こうの景色をよくよく見る。
あちらの部屋で刑部の者らしき男たちに囲まれている宮妓は、身に付けている衣服は豪奢なもので、おそらくは宮妓の中でも人気者の稼ぎ頭なのだろうと推測された。
だがその宮妓は、衣服の上からでもやせ細っているのが見て取れて、肌も青白く目が充血気味だ。
手を震わせながら怯えたようにしきりにキョロキョロして、傍から見て明らかに挙動不審であろう。
「あの女性はケシ汁の中毒、しかも重症患者ですね」
雨妹が思わず呟いたのを、男は聞いていたようだ。
「なるほど、末はああなるといういい見本ということだな」
そう言って男が頷いている。
「それにしても酷い臭いだ。
香の匂いなのか?
こちらにまで刺激臭がする」
いつの間にか背後に来ていた立彬が、そのような事を述べた。
確かに、この小さな穴を通してでも異様に化粧臭い空気が流れてくる。
恐らくは香油や香を焚き込んだ香りだったりなどの、色々な匂いが混じっているのであろう。
――まあ、体臭対策をするとああなるかもね。
あのケシ汁の臭いに長時間接していると、当然あの臭いが香を焚き込むように衣服はもちろん、髪などにも沁みついているはずだ。
それは煙草の臭い同様に、どんなに清潔にしても簡単には消えない。
そうなってしまったら臭いをとるのは難しく、悪臭を消すためにはそれよりも強烈な匂いを身に付けるしかなくなる。
その結果、刺激臭で刺激臭を消すという悪循環に陥るのだ。




