15話 お見舞い
明賢が立勇とそんな話をしていた頃。
雨妹は爆睡して気分一新したところで、約束通り玉秀の見舞いに行くことにする。
「こんにちは江貴妃」
雨妹が医局に入ると、玉秀は床几に起き上がっていた。
「まあ雨妹、いらっしゃい」
玉秀はすっかり元気になった様子で、雨妹を笑顔で迎える。
「顔色が良さそうですね、これはお見舞いの品です」
雨妹が太子の妃嬪に対して礼をした後に懐から出したのは、紙に包まれた美娜特製の蒸しパンだ。
「さっき作ってもらった蒸したてですよ」
「まあ、美味しそう!」
玉秀はまだ温かい蒸しパンをとても喜んでくれた。
食欲があるのは回復した証拠である。
「お茶を淹れてくれる?
そしてあなたも一緒に食べましょう」
玉秀が声をかけたのは、そばについている宮女だ。
髪を耳の上でお団子に結っている、雨妹より年下に見える可愛い娘である。
「はい!」
宮女は、ビシッと背筋を伸ばしてお茶の用意を始めた。
その様子はベテランというよりも下っ端の新人っぽい。
「この娘は、太子殿下が寄越して下さったの」
雨妹の視線を見取ったのか、玉秀が教えてくれた。
この宮女は太子によって病人に害をなさないという人選で、身の回りの世話をするために寄越されたという。
「あ、あの、どうぞ」
宮女が緊張した様子でお茶を差し出してくる。
雨妹が一緒だった集団にはいなかった娘なので、雨妹より先輩だと思うのだが、妙にオドオドしている。
「私、最近後宮に来たばかりの新人なの。よろしくね」
だから緊張しなくていいと言いたかったのだが。
「あ、はい、よろしくお願いします!」
宮女はやはりビシッと背筋を伸ばして頭を下げた。
そして言葉遣いが敬語である。
――こういう性格なのかも。
オドオドしているのも、小動物っぽくて和むかもしれない。
案外癒し効果を狙っての人選なのだろうか。太子もなかなか侮れない。
玉秀も床几から出て、雨妹と宮女と同じく卓を囲んで座る。
そして上品に蒸しパンを一口大に千切りながら口に入れ、頬を綻ばせる。
「出来立てっていいわねぇ、とっても美味しいわ」
美娜特製蒸しパンは、玉秀のお気に召したようだ。
病人で胃が弱っているだろうという想定で、選定されたおやつだった。
――江貴妃が喜んでいたって、後で美娜さんに教えてやろう。
雨妹がおやつの出来栄えを気にしていた美娜を思っていると。
「貴妃になって豪華な食事を出されるけれど、出来立てを食べる機会は減ったのよ」
玉秀が蒸しパンを食べながら、寂しそうに告げた。
料理が出来上がって玉秀の元に届くまで、たくさんの人の手を介する。
運び手もそうだが、毒見も念入りにすれば時間がかかるだろう。
玉秀はこの医局でくらい、それらから解放されたいのかもしれない。
――偉い人って、案外窮屈なんだな。
自分の母親も温かいものを食べられずに辛かったのだろうかと、雨妹はふと思いながら蒸しパンに齧り付いていると。
「おい、俺の分はないのか?」
奥の部屋にいたらしい子良が、ひょいと顔を出した。
「ちゃんとありますよ、どうぞ」
子良に雨妹はもう一つ包みを出して見せる。
こうして四人でおやつを食べながら、子良が玉秀の今後について語った。
「江貴妃は予定通り明日まで医局にいてもらい、明後日に宮に戻れると、太子にもお伝えしてある」
「まあ、そんなものでしょうね」
子良の見立てに、雨妹も頷く。前世でもインフルエンザは熱が下がって二日は自宅待機となっていた。
治りかけが一番他人にうつりやすいので、それが賢明だろう。
「よかったですね、玉秀様」
太子宮に帰る日取りを聞かされ、喜ぶ宮女に玉秀も頷く。
「ええ、私も熱で苦しんでいる時は、もう駄目かと思ったわ」
確かにインフルエンザは頭が茹るかというような高熱に、身体の節々の痛みや倦怠感、頭痛に吐き気との闘いと、このまま死ぬのではないかという気持ちになる、らしい。
実は前世でもインフルエンザに罹ったことのない雨妹なので、あくまで患者から聞いた情報である。
太子の話からすると、玉秀はお世話もされずに放置されていたようなので、余計に苦しかったことだろう。
「今回死ぬ思いをしたけれど、あなたという人に会えたことは幸運だと思っているわ。改めてありがとう、雨妹」
改めてそう言われ、雨妹は微笑む。
「光栄です、江貴妃」
玉秀の回復に、確かに雨妹の心肺蘇生が間に合ったことは大きいだろう。
だが全ては本人の体力がなければ、手立ても薬も生かされない。
玉秀の生きる力が、インフルエンザに勝ったのだ。
「太子宮に戻るまでの間は休暇だと思って、医局でゆっくり過ごすといいですよ。美味しいおやつもありますから」
ここには値踏みする人は誰もいないのだから、心行くまでダラダラとして、英気を養うといい。
雨妹がそう思って告げた言葉に、玉秀がコロコロと笑う。
「まあ、雨妹は面白い言い方をするわね。病気を休暇だなんて」
病気に罹るのは悪いことだと思いがちである。
けれど病人はどうあっても休まなければならないのだから、気分良く過ごす方がいいはずだ。
病人が鬱々と過ごさなければならないなんて決まりは、どこにもないのだから。
「でも、そういうのもいいわね。
それに本当にこの蒸しパンは美味しいわ。
こちらの台所には腕のいい方がいらっしゃるのね」
玉秀が千切った蒸しパンのかけらを食べ、目を細める。その様子は表情豊かで、可愛らしい女性だと思う。
――そうか、兄(仮)はこういうのが好みか。
雨妹としては、なかなかいい趣味であると言えよう。




