146話 迷惑な臭い
「でも、それにしても臭いなぁ……」
この国の煙草は煙管で楽しむらしく、先だっての徐も煙草を吸っていたが、彼女からはこのような臭いはしなかったはず。
ということは、煙草固有の臭いというわけではないだろう。
煙草になにか臭いものが混ざっているのだろうか?
それにしても、わざわざ臭い思いをして煙草を吸うなんて、雨妹からしたら気が知れない。
「ってアレ?」
煙草と刺激臭という言葉で、意識の片隅に引っかかったことがあった。
この二つは、なにか注意事項があったはずだ。
危険な行為が紛れているから、注意しなければいけないということだったはず。
「……煙草、変な臭い――これはアンモニア臭?
そうだ、アンモニア臭いんだ!」
雨妹はずっと引っかかっていた臭いの正体に気が付いた。
アンモニア臭の残る煙草の残骸とは、もしや阿片ではないだろうか?
阿片はケシから採れる液体から作るもので、中毒性があることで知られている。
阿片からモルヒネやヘロインが精製されるのだが、モルヒネは鎮痛鎮静剤として使われているものの、ヘロインは麻薬だ。
前世でも阿片の歴史は長いが、その中毒性が広く知られるようになったのは、そう古い時代ではなかったはずである。
そして阿片を楽しむ方法として、煙草のように吸煙するというものがあった。
これは一見煙草と見分けるのが難しく思えるが、阿片は煙草と比べて明らか過ぎる特徴がある。
阿片には特殊な臭気があって、それがアンモニア臭だ。
雨妹は前世に勤めていた病院が薬物被害の速やかな発見のために警察と連携を図っていて、その一環での警察側との話し合いで特別に現物を見せてもらったことがあった。
その際に思ったのは、「この臭いを毎日嗅ぎたいとか、どうかしている」ということだった。
つまり、阿片とはそれだけ臭いのだ。
その臭いが今、ここにあるということは……
「ここで、阿片が流行っているってこと?」
いきなり大事を引き当ててしまい、雨妹は一人唸る。
宮女たちが掃除を嫌がるのは、この教坊に蔓延した阿片の臭いを厭ったからだろう。
この臭いだけでも、具合を悪くするのに十分なのだ。
前世でもその昔、阿片のためにケシ汁の採取に従事していた子どもたちが、ちょうどケシの花と同じ背丈なせいで、臭いを直に嗅いで具合を悪くしたという話を聞いた。
――これは、どうするべき?
さすがに雨妹の手に余る事件である。
まず整理するならば、阿片とは医局に「ケシ汁」という呼び名で、鎮痛鎮静剤として使われているものがあることを知っているが、非常に高価な薬だという。
とてもではないが、宮妓が簡単に手に入れられるものではないのだ。
そんな限定された使い方である故に、医者の中で阿片の中毒性が広く認識されているかは不明である。
何故なら阿片は飲み薬としてならば、そこまで強い麻薬作用が出ないからだ。
なので、果たして陳ですらどこまで知識があるものか?
――誰だ、阿片煙草を考えた奴っ!?
全く、どこの世界にも余計な知恵を働かせる者がいたものである。
それに、阿片に中毒性があると知っていてまん延させたとしたら、さらに危険だろう。
宮妓は皇帝の近しい場所に行ける存在だからである。
「相談……、相談だよ!」
こういう話を持ち込めるアテなんて、一人しかいない。
――よし、立彬様に突撃しに行こう!
余計な荷物を抱えるならば、一人より二人の方がいいというものだ。
方針が決まったところで、雨妹はとりあえず証拠物件として、穴に埋められていた燃えカスを集めて持っていた布で包む。
けれど、この臭いのもとをいつまでも持っていたくない。
燃えたものと、湿気ってでもいたのか火をつけるのに失敗したものとが混ざっているのだろう。
そうでないと臭すぎる。
掃除どころではなくなってしまったが、「続きはまた今度するからね!」と誰にともなく心の中で謝り、立ち上がったところで。
「そこでなにをしているんだい?」
背後から声をかけられて、雨妹は思わずビクッと背中が跳ねた。
「……えっとぉ?」
そろりそろりと振り向くと、そこにいたのはあのごみ捨て場にいた宮妓、徐である。




