127話 月餅祭り
杜の姿を見た立彬が、食べていた月餅で咽かけているので、雨妹は背中を撫でてやる。
「大丈夫ですか? 白湯を飲みます?」
心配する雨妹を、立彬がギロリと睨む。
立彬がその目で訴えようとしていることは、こちらだってわかっているつもりだ。
「……なにも言わないでください。
あちらは宦官の杜様という方であるらしいですので」
この説明にもなにか言いたそうな立彬だが、そこはぐっと呑み込むようにする。
まあ「あんな怪しい宦官いるか!」などと、立彬様が言えるはずがない。
そんなことを言えば、言葉が自分に向かって超高速旋回で返ってくるのだから。
――楊さぁん、お月見に誘う人は選ぼうよ!
しかし来てしまった人を追い返すようなことが、下っ端宮女である雨妹にできるはずもない。
一方で美娜は、見知らぬ宦官の姿に目をパチクリしている。
「おや、宦官が増えた。
楊さんの知り合いかい?」
「……まあね。せっかくだから一緒に月見をと思ったのさ」
呑気に尋ねる美娜に、楊がそう答えた。
「そうかい!
こういうのは大勢の方が楽しいってもんさね!」
これを聞いた美娜がそう言って笑うと、近くから卓を引っ張って来て楊と杜の分の席を作る。
その様子を見て、雨妹は「美娜さんて、大物だ」と感心する。
美娜はおそらくは皇帝の容姿を間近で見たことがないから、杜に対する疑念を抱かないのだろうが。
それでもこの宦官、ちょっと宦官にしては迫力というか、威圧感というか、「なんとなく怖そう」という感じを抱いてしまう男なのだ。
この違和感は立彬とて同じなのだが、杜はそれよりももっと違和感が強い。
――オーラを隠せていないっていうか、そもそも隠そうとしていないっていうか……。
立彬が一応は宦官のフリをしようと努力しているらしいのに対して、杜は見た目を誤魔化しただけという感じで、そのあたりが違うのだろう。
ともあれ、二人の分の席が用意されたので、雨妹は月餅をそちらの卓にも並べる。
「ほぅ、これはまた美味そうな月餅であるな」
相手が誰であれ、雨妹はこの月餅を褒められるのが嬉しい。
「美娜さんお手製で、私もちょっと手伝いました!」
そう言って胸を張る雨妹に、杜が目を細める。
「そうか、お主も手伝ったのか……ありがたくいただこう」
杜はそう言いながら月餅を手に取ると、指先で千切って口に入れた。
ずいぶん上品な食べ方である。食べたのは、かぼちゃ月餅だ。
「これは、なんだ?
わからんが美味いな」
「そりゃあ瓜だよ」
首を捻る杜に、美娜が説明する。
「ほう、甘い瓜があるとは知らなんだ」
「瓜の仕入れ先によると、南方の瓜だそうだよ」
そう話す杜は、そのかぼちゃ月餅を千切っては食べるを繰り返す。
どうやら気に入ったようだ。
――やったねかぼちゃ、この国で一番偉い人に食べてもらえたよ!
この瞬間はきっと、かぼちゃの崔国制覇の第一歩かもしれない。
雨妹がかぼちゃの出世をわが身の事のように喜んでいると。
「そうそう、雨妹よ」
杜にそう呼びかけられた。
「はい?」
向き直る雨妹に、杜が言う。
「お主、聞いたところだと、明の奴に名乗らなかったそうだの?」
杜の指摘に、雨妹は「その話か」と頷く。
「はい、だってあちらからも名乗ってもらっていませんし」
雨妹はあっさりと言う。
そうなのだ、立勇や李将軍から明についてを聞かされたものの、本人から直接、何者かを告げられてはいないのだ。
偉い人だと下っ端宮女なんて名乗るに値しないのかもしれないが、少なくともこれまで出会った偉い人からは、名乗るまでもない有名人は別として、そうした扱いをされたことはない。
「さようか、それは明の礼儀がなっとらんな」
そう言って顎を撫でる杜に、雨妹は「それに」と続ける。
「名乗り合うって、お互いを認め合う行為でもあるでしょう?
それならあの方には、もう少しシャキッとしてもらわないと。
今のままだとまるっきりダメ大人ですから」
「ハハハ!
なるほど、ダメ大人は確かに嫌いになろうな」
雨妹の言い分に、杜が愉快そうに笑う。
そして「話は変わるが」と杜が切り出す。
「我も月餅を持って来たぞ。甘い月餅はたんとあると楊に聞いていたのでな、肉詰めのものにした」
そう言って杜が楊を見ると、ずっと無言である彼女は持っていた手荷物の包みを卓の上に置いた。
中にはもちろん、焼き目も美しい月餅が入っている。
その一つを手に取って、雨妹は驚く。
「あ、焼き立てですか!?」
月餅は通常、しばらく寝かせてしっとりさせたものが食べられるのだが、これは生地がまだカリッとしていた。
「そうだ、我は焼きたてが好きなのでな」
杜のそんな通のような発言に、雨妹はなんとなく「大人だ!」と感心してしまう。
それに焼き立てなんてものは恐らく、皇帝であったら食べられないだろうに。
この男、今の立場を最大限に楽しむつもりのようである。
そんなまだカリカリの月餅を、雨妹はハムッと齧って、また驚く。
――ピリッとする!
辛みを感じると同時に、香りが鼻に抜ける。
どうやら香辛料が味付けに使われているようだ。
この国では、香辛料は外国から取り寄せる高価なもの。
地味に見えて、きっと最も高価な月餅はこれだろう。
「すごい、新しい、美味しい!」
思わずその場で足踏みをして感動を表現するのに、美娜が「そうかい?」と自身も手を伸ばす。
「雨妹よ、わかったから足をジタバタするのを止めなさい」
立彬は雨妹にそう注意して、しかしこちらは杜の月餅に手を伸ばさない。
さすがにこの状況で飲み食いするには、喉を通らない様子である。
「ん~、美味しい、幸せ~!」
美味しさに感激するあまり、注意されてもどうしてもジタジタしてしまう雨妹の足については、この場では見逃してもらうことにする。
「……やはり『あちら』と違って、ずいぶんと活きがいいな」
ボソッと呟いた杜の声は、幸いなことに雨妹の耳に届かない。
百花宮の秋の夜は、こうして更けていった。




