123話 吐露
本日、「百花宮」3巻の発売日です!
「おい明よ、とりあえず落ち着けや」
「ひいぃ、すまねぇ、すまねぇ」
李将軍が声をかけても、全く立ち直らない。
どうやらこの場をどうにかするのは、雨妹の役目であるようだ。
――仕方ないなぁ、もう。
雨妹は明の側まで行くと、両足を軽く広げて踏ん張り、その背中を前に大きく息を吸う。
そして、
「立ちなさぁーい!!」
雨妹のドスのきいている腹の底からの怒鳴り声が、室内に響き渡る。
「ひぃっ!?」
明が反射的といった様子で、涙と鼻水でグシャグシャな顔ながらも立ち上がった。
「よろしい」
それを見た雨妹は満足そうに頷く。
前世でどんなパニック状態でも一発で鎮めてみせた看護師長の一声は、今世でもちゃんと効くようだ。
「まるで大隊長格の一喝のようだったぞ」
李将軍は突然の大声で耳鳴りがするようで、しきりに頭を振っている。
けれど老女はなにかを察知したのか、いつのまにか部屋の外へと避難していた。
さすが年の功である。
「は、あ?」
明は立ち上がったものの、何故自分が立ち上がったのか分からないらしく、きょとんとした顔をしている。
そして雨妹の方を見たのだが、もう先程のように怯えたりしない。
雨妹の怒鳴り声が怯えを吹き飛ばしてしまったのかもしれない。
「まず言っておきますが、私はその慧とやらではありません。
誰かと混同されて勝手に怯えられては迷惑ですから!」
腕を組んでビシッと言い放つ雨妹に、明は呆気にとられている。
そして前回訪れた際もそうだったが、李将軍はこの慧という名前にも、雨妹の容姿にもピンと来ていなかった。
恐らくは明の身の上に起きたことは知っていても、皇帝の美人の容姿や名前までを知らないのだろう。
なにせ母は後宮という閉ざされた場所で生活していたのだから、会える相手は限られていたはず。
将軍という立場の人と会うことなどなかったのも無理はない。
むしろ後宮に立彬として出入りしている立勇や、皇帝のお忍びのお供で出会った明が稀なのだ。
「私は楊おばさんの部下で、ただの新人下っ端宮女です」
「楊の、部下? 違う?
いや、そういえば若い……?」
まずは今更の自己紹介をすると、ようやくこちらの言葉が耳に届いた明は戸惑っているが、雨妹はまた恐慌状態にならないようにと畳みかけるように語る。
「聞きましたよあなたの事情は。
なんでも皇帝陛下の美人を、辺境の尼寺にまで送っていかれたとか。
私は辺境から都へ来ましたから分かりますが、都から辺境までは道ならぬ道を行くようなものですから、さぞご苦労だったことでしょう」
「お前さん、辺境から……」
驚く明に、雨妹はさらに続ける。
「それに私は話に聞いたような境遇の女性を知っているという知り合いの話を、辺境で聞いたことがございます」
そう切り出したことに、明のみならず李将軍までもが、呆気にとられていた。
――これぞ話をする時の必殺技、『友達の話なんだけど』よ!
この話はあくまで、雨妹の知り合いの話。
決して雨妹の身の上話なんかではないので、雨妹の立場にはなんの影響もないのだ。
先だってのあの宦官、杜と同じやり方である。
戸惑う男たちを前に、雨妹は語る。
「その知り合いが言うには、珍しくも辺境に余所の土地からやってきた女性が、尼寺にいらっしゃったそうです。
彼女は貧しい生まれの方だというのに、どんな幸運を授かったのか、高貴なる方の御目にとまり、子を授かることができたそうで。
それは想像したこともない幸せであったそうです。
ですが、その幸せは長く続くものではなく、子と共に辺境の尼寺までやって来てしまった」
「あぁ……」
雨妹がざっくりと話した母の人生に、明の目が暗く沈む。
ここまでが、明の知っている母の物語だろう。
しかし、雨妹の話の本題はここからだ。
「その女性は辺境の尼寺で親身になってくれた尼に、こう申したそうです。
『このまま生きてあの方を恨むようになりたくない、幸せな気持ちを抱いたままでいたい』と。
それから数日後に、自ら命を絶ったという話でした」
雨妹の語る結末に、明が目を大きく見開く。
「なんと、なんという……!」
声を振り絞るようにして嘆く明に、雨妹は「しかし!」と叫ぶ。
「私は、その女性を可哀想だと思うと同時に、愚かだと思います。
だって、どうして幸せはもう来ないと決めつけたのでしょうか?
一緒にいたはずの子は、幸せをもたらす存在ではあり得なかったのでしょうか?
もしかして、その子が過去を凌ぐ幸せを、未来の彼女にもたらしたかもしれないのに」
雨妹はこれまで誰にも、尼たちにすら言えなかった母に対する憤りを、静かな声ながらも強い口調で告げる。
「娘っ子……」
李将軍が目を見開いてそう漏らす。
明は声も出せずに、ポカンと口を開けて呆けている。




