120話 宦官、杜
現れた男が皇帝なのか、それともそっくりな宦官なのか?
どちらともわからない雨妹は、答えを探ろうと楊をちらりと見やるが、その楊は顔を余所に向けていて目が合わない。
――楊おばさぁん、助けてくれないの!?
雨妹がすがるような目を楊に向けていると、宦官が「ウォッホン!」と咳ばらいをする。
「私は杜俊という。
そちらかな? 明永について話を聞きたいと申すのは」
そう言いながら、ニコリと笑って友好的な雰囲気であった。
――う~ん、どっちかなぁ?
雨妹は皇帝の渋い声しか聞いたことがないが、偉そうにせずに明るく朗らかに話すとこういう声になるのかもしれない、という気がする。
どれほど考えても答えが出ない以上、ここで裏読みをしても仕方ないのではなかろうか?
少なくとも、たとえ皇帝本人だとしても、宦官の格好をしてこうしてやって来たのだ。
ならばどれほど怪しいとしても宦官なのだ。
よく考えると、それは立彬と同じである。
――そっか、そうだよね!
そう考えたとたんに、雨妹は気持ちが軽くなった。
この人は宦官で、髭を生やしたら皇帝陛下のソックリさんな人。
そういう体で話をしても、雨妹が叱られることはないのだ。
雨妹は自分の中で答えが出たところで、深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
「はい、明様になにがあってああなったのか、知りたいです」
「そうか、では語って聞かせよう」
雨妹がそう言うと、杜が本題に入った。
「そなたは、かつてここ百花宮から辺境の尼寺へ追放された美人がいたことを、聞き知っているかな?」
「……! はい、なんとなくですが聞いています」
冒頭からずばり母についての話をされ、雨妹はドキッとしながらも頷く。
杜は「そこそこ有名な話だ、知っていて不思議ではない」と言い置いて、言葉を続ける。
「その明はな、皇帝……陛下より直々に頼まれ、その美人を辺境の尼寺まで送り届ける役目を負った男であるのよ」
「そうなんですか!?」
雨妹にも初耳の話が出て、思わず大きな声が出てしまった。
そう言えば、母は辺境の尼寺まで追放されたのに、どうやって女一人が辺境まで行ったのかということまで、あまり深く考えていなかったかもしれない。
ただ漠然と、護送みたいにして連れて行かれたのか、くらいしか思っていなかったのだ。
しかし、話はそれよりも酷いものだったようである。
「当初はな、その美人は追放を命じた者の手筈によって、たった一人で都から放り出されるはずだったのよ。
着るものも荷物も持たされずにだ」
近隣の里には美人の追放の知らせが前以て広まっていて、保護などをしないようにという通達までされているくらいの徹底ぶりだったとか。
そんな状態で辺境にたどり着くなど、はっきり言って不可能であろう。
どこかの道端で野垂れ死ぬのが関の山である。
それを察知した皇帝が、己の信頼する近衛にその美人を無事に送り届けるように頼んだのだそうだ。
そして、皇帝には別の思惑もあったようで。
「明はな、その美人を憎からず想っておった男であった」
杜の口から出たのは、なんと母のもう一つの恋話である。
――そりゃあなんていうか、モテモテだな母!?
自然と聞く体勢が前のめり気味になる雨妹に、杜は話を続ける。
「明が主と美人との忍びの外出に付き添う内に、密やかな想いを抱くのはそう不自然なことではあるまい?
当然皇帝……陛下も察しておったが、見て見ぬふりをしておった」
「……何故ですか?」
できるだけ口を挟まずに聞こうと思っていた雨妹だったが、つい疑問が口から出てしまう。
しかしこれが華流ドラマであれば、そこから嫉妬によるドロドロの関係が始まる場面であろう。
それがあまりにあっさりとし過ぎているのではないだろうか?
――いや、平和に越したことはないんだけどね。
現実と華流オタク脳との狭間で悩ましい雨妹に、杜が懐かしむような目をして答えた。
「明は臣下であると共に、大事な友だからだ。
もしその美人に百花宮の外へ解放されたいと願われれば、明への降嫁を考えるほどには思うておったのよ」
けれどその機会が最悪の事態で訪れてしまったことで、皇帝は考えたそうだ。
「明に申したのは、『その美人の供をして、お主の思うように行動せよ』というものだった。
明がそのまま美人と駆け落ちしても、良いと思っておったのだ」
杜曰く、何度も何度も念を押した皇帝に、明は深く頷きを返し、美人を追いかけて都を出立したそうだ。
けれど、母は辺境の尼寺へたどり着いてしまい、明は現在都にいるわけで。
「明様は、駆け落ちを選ばなかったのですね」
雨妹の呟きに、杜は「そうだ」と肯定する。
「明は美人を辺境の尼寺にまで送り届け、都に戻って来た。
美人の訃報を聞かされたのは、その直後であるな」
「そうなんですね……」
ということは、明は元気な母と別れて、都に着いたら母が死んだと聞かされたわけか。
手紙が届く早さは明が戻るまでの時間と大して変わりないだろうから、母は明と別れてすぐに、自ら命を絶ったことになる。
明もそれはさぞかし辛かっただろう。




